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*18 再びの逢瀬(後編)
十分後、俺は待ち合わせに指定された場所で熊井さんと落ち合うことができた。熊井さんは昼に見た時とは違う、少しラフな感じの服装をしていて、俺を見つけると嬉しそうに小さく手を振ってくれる。
「……どうも」
「お疲れ様。お腹減ってないかい?」
「すっげ―減ってる。何にも食べないで出てきたから」
「じゃあ、少し歩くけど、ウチで食べないか?」
「ウチって……紘一さんち?」
思ってもいなかった誘いの言葉に俺が同じように返すと、熊井さんは恥ずかしそうに頬を染めてうなずく。その仕草と姿がやたらにかわいらしくて、俺は胸がキュンとなる。
それから俺と熊井さんは連れ立って熊井さんの部屋まで歩くことにした。駅を挟んでレーヴのある商店街とは反対側にあるマンションに住んでいるとのことだからだ。
夜道を連れ立って歩くのは実に半年ぶりで、いまはあの当時とは違った意味合いのふたりになっている。
ただお互いの胸の中から抜け落ちていた想いを埋めるようにして出会った仲だったのに、いまでは互いの存在そのものが欠かせなくなっている。
大通りを横切ってマンションに続く細い路地に入った時、ふいに熊井さんが俺の手を取った。指先を絡ませるように繋いで、いわゆる恋人繋ぎをしたのだ。
「え、繋ぐの?」
「イヤだったかな……すまない」
「イヤじゃないけど……なんか、意外だなって思って」
「しなさそうに見える?」
「うん。こういうイチャイチャしたのは嫌いそうだなって思ってました。だって、前会ってた時だって、ただ歩いて行くだけだったし」
「それは……あの頃は、勝輝にそういう想いを抱いて良いのかわからなかったから」
勝輝、と熊井さんが呼んでくれる。ただそれだけがたまらなく嬉しくて泣きそうになる。思わず立ち止まってしまうぐらいに。
「どうした?」
「……なんか、名前呼ばれるのが、すごく嬉しくて。呼んでもらえるなんて、思ってもなかったから」
「……ごめん」
熊井さんが申し訳なさそうに、泣きそうな顔をして俺を見てくる。そんな顔をさせようと思っていなかったから、俺は慌てて熊井さんの頬にキスをした。まるで赤ん坊を泣き止ませるためのおまじないのように。
熊井さんは驚いて真っ赤な顔になりながらも、嬉しそうにすぐに笑った。
「さ、中へ行こう。僕もお腹が減ってしまったよ」
絡ませ合った指先を繋いだまま、ふたりならんでマンションのエントランスを通り過ぎてゆく。明るくおしゃれなデザインのそこは熊井さんに似合いの場所のような気がした。
通された部屋はシンプルなインテリアで、必要最低限のものしか置かれていない感じだった。
キッチンカウンターがあって、その隅にはがき大のフォトフレームが置かれている。その中の写真は、一度見せてもらったことがあるのと同じ人物――蓮の写真だった。
親戚の家で見かけるようないわゆる仏壇ではなく、写真と、花が置かれているだけで、線香すらない。
熊井さんはカウンターの中のキッチンで何かを温め始めていたけれど、俺はカウンターに置かれたそれを見ていた。
「ねえ、紘一さん。写真に手を合わせてもいい?」
「え? ……ああ、そうしてくれたら嬉しいよ」
悲しいような嬉しいような複雑な感情の入り混じったやさしい微笑みをして熊井さんがそう言ったので、俺は黙って数秒の間写真に向かって手を合わせた。
(――チーズケーキ食べてくれて、ありがとう。ごめん、俺が今度から彼のそばにいるよ)
悪いことをしているわけじゃないのに、なんで謝らなきゃいけない気がしたのかわからないけれど、黙ってこの先熊井さんと共にいるようになるのはちょっと後ろめたい気がしたのかもしれない。巡り会わせに、罪はないのだとわかっていても。
そうしている内にふんわりと何か肉のようなものが焼ける良いにおいがしてきて、働いてきて空腹だったことを思い出した俺の腹が鳴る。
腹の虫は熊井さんにまで聞こえたみたいで、くすくすと笑いながら料理を盛り付けた皿を運んできた。
「あんまり美味しいとは言えないんだけれど……まあ、食べてくれ」
「美味そう! いただきます!」
熊井さんが用意してくれたのは肉たっぷりの野菜炒めと卵とワカメのスープ。そして白いご飯。
お世辞抜きに熊井さんのご飯は美味くて、俺はご飯だけでも二杯食った。俺の食欲に熊井さんは驚き、そして、「やっぱり若いねぇ」としみじみ言うのだ。
「そんなに美味しいかい?」
「もちろん! 最高に美味いっす!」
「ははは、ありがとう。あ、勝輝」
「ん?」
夢中になって料理をかっ込んでいると不意に名前を呼ばれた。顔をあげると熊井さんが指先で俺の口許を撫でて、そしてご飯粒を取ってくれたのだ。取ったそれを、熊井さんはためらうことなく口にする。
その一連の仕草の流れがものすごく嬉しくて恥ずかしくて、俺は自分の耳の端まで赤くなっていくのを感じた。
「ついてたよ」
「こ、紘一さんって、結構大胆っすね」
「勝輝だからだよ」
そういうところだよ……! と、叫び出したいほど恥ずかしかったのに、それはできなかった。何故なら熊井さんがまた俺の口許に触れてきたからだ。
唇の輪郭を確かめるように触れてきて、そしてそっと唇も重ねてくる。じんわりと野菜炒めのたれの味がするキス。
「続きは、ご飯の後にしようか」
「……はい」
いたずらっぽく微笑む熊井さんの顔は、実際の年齢よりもはるかに若くお茶目に見えた。
ああ、俺、この人がたまらなく好きだ――それまで抑えてきた感情がふつふつとそのキスをきっかけに沸き立ち、頬を染めていく。
もうこの気持ちを偽ったり隠したりしなくていいんだ……そう思うだけで、俺はしあわせでめまいがしそうだった。
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