*1 チーズケーキさん(前編)

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*1 チーズケーキさん(前編)

(……あ、今日も来てる)  俺の父方の祖父・鳥山英二(とりやまえいじ)が開いた街の商店街の小さなケーキ屋・レーヴに、今日も彼は来ている。  客足が途絶え始める閉店三十分前の夕暮れに、彼は週に一度くらいのペースで来店するのだ。 「いらっしゃいませ。お決まりですか?」  小さな店なので、接客担当の母さんや妹のみのりに代わって、時間によっては普段ケーキを焼いている俺も店に出たりもする。商品補充のない閉店前の小一時間ほどがほとんどなんだけれど、彼はだいたいこの時間帯に訪れることが多い。  最初に気づいたのは、いつだったか。たぶん数か月前の、やはり夕暮れだったと思う。  整えられたグレーヘアーの痩身の彼は、たぶん歳は四十代半ばというところだろうか。それぐらいの年頃の男性がひとりで頻繁に来店するのはまあまあ珍しいので覚えやすかったのもある。  そして彼は必ず決まった日に、ベイクドチーズケーキを二つ買って行く。  ちなみにこのベイクドチーズケーキは地元の牧場で作られた白チーズと、そこの牛乳で作った自家製カスタードクリームを使っている。これも地元応援の一環のつもりなのだ。 「ベイクドチーズケーキを、二つ」 「はい、ベイクドチーズケーキをお二つですね。お持ち歩きは三十分でよろしいんでしたっけ?」  俺の言葉に、彼は黙ってうなずき、ひっそりと微笑んで懐から長財布を取り出して支払いを始める。  保冷剤をケーキの箱の中に入れ、そっと丁寧にベイクドチーズケーキも二つ詰めて手渡す。 「いつもありがとうございます、熊井さん」 「ああ……いえ……」  熊井紘一(くまいこういち)、それが俺の知る彼の名だ。  どうして常連客の彼の名を知っているかというと、先月職場――どうやらこの街の市役所にお勤めらしい――の送別用のプレゼントに焼き菓子の詰め合わせを注文したことがあって、その時に注文書に彼が直々に記してくれたからだ。  熊井さんは、その時もやはりベイクドチーズケーキを二つ買って行って、そのついでのように焼き菓子を注文していった。  そういったことがあって、常連客の中でも割と距離が近いような気もするのだけれど、彼はいつも物静かで、ケーキの注文だとか必要なこと以外は滅多にしゃべらない。  無愛想だとも言えるのかもしれないけれど……俺はその彼のケーキを眺めている時の顔がたまらなく好きなのだ。  長い指先を口元にあて、じっと考え込み伏せる睫毛の影とその下の目許が、亡くなった伯父ができたてのケーキを並べて眺めていた時の姿に、とても良く似ている気がするから。  その姿を見ていると、胸の奥で焦げ付いたままの恋心がじくじくと疼く。
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