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*1 チーズケーキさん(後編)
「今日もいらっしゃったね、チーズケーキさん」
「熊井さんな。妙なあだ名を常連さんにつけるなよ」
閉店後、店内を掃除するみのりと、明日の仕込みをする俺とで会話しながら今日を振り返る。
みのりは製菓の専門学校に通いながら、週に三回ほど高齢になってきた母さんに代わって店を手伝ってくれる。
俺以上にケーキが好きなみのりは、その名の似合う少々ぽっちゃりと実りある体つきをしているが、愛嬌があって記憶力も良く、接客向きだ。
「ねえねえ、前から思ってたんだけどさ、熊井さんって、ゆー伯父さんに似てるよね」
掃除を終えたみのりと、仕込みを終えた俺が店の上階にある自宅へと続く階段を昇っていると、不意にそんなことを言ってきた。
初めて熊井さんの存在に気付いた時から感じていたことを、みのりがズバリ言語化してきて胸が音を立てる。まるで俺の密かに抱いている気持ちを見透かしてきた気がして。
「……そうかな。ゆー伯父さんはもっと明るかったじゃん」
「あー、そうだねぇ。熊井さんももっとニコニコしたら雰囲気変わるのにねぇ」
「お客様のことにあれこれ口出しするなよ。失礼だろ」
わかってるよぉ、とみのりは言い、俺より先にダイニングに入っていく。ダイニングテーブルには俺とみのりの分の夕飯が用意されている。
俺の気のせいではなく、熊井さんは伯父に似ている。ただ、まとう雰囲気が違いすぎて別人のようだけれど。
ケーキ作りも接客も上手かった伯父は、商店街でも評判の存在だったし、俺にとっても自慢の伯父だった。
だから俺も、そんな風になりたくて店の後を継ぐと伯父と、そして同じくケーキ職人の父さんにも言っていたし、父さんはもちろん、伯父だって楽しみにしているようだったのに……十年前の秋、伯父が交通事故で亡くなったことでそれまで目標だったことが突然なくなって、よくわからなくなってしまったんだ。
レーヴを継ぐことは子どものいなかった伯父と、そして父さんの願いでもあったから、伯父がいなくなっても俺がケーキ職人になることに変わりはないのだけれど、伯父という目標にしていた存在がなくなってしまってからは、ただ惰性でしかなくなっている気がする。
それでも十年やっては来ているので、ケーキ職人としてはようやく半人前というところだろうか。
歳をとってきた父さんに代わって商品の大半を任されるようになってきたり、常連さんに褒められたりすることも増えてはきた。
だけれど何かが胸の奥でくすぶっていて、物足りない気がしてしまうのは何故なんだろうか。
そしてそれが、どうしてだか今日みたいな日はほんの少しだけ晴れているような気がするんだろうか。
「お兄ちゃんさ、熊井さんが来るとちょっと愛想良くなるよね」
遅い夕食を食べていたら、不意にみのりがそんなことを言ってきたものだから、俺は食べかけていた唐揚げを取りこぼしてしまった。
どういうことだよ? というように顔を向けると、みのりが何か含みのあるような笑みを浮かべてこちらを見ている。
「べつに俺はお客さんで差をつけてやってないよ」
「えー、そう? だってさぁ、保冷材の時間把握してるって熊井さんぐらいじゃない?」
「……あの人は覚えやすいからだよ」
「ああ、チーズケーキさんだもんね」
「だから、それやめろって」
失礼だろ、と俺が呆れながら夕飯の方に神経を戻そうとしていると、「でもさぁ、自分の得意なのを贔屓で買ってくれる人は覚えちゃうよねぇ」と、みのりはさらに言うのだ。
みのりが言わんとしていることは、わかる。確かにそういうことはあるような気がする。
俺の得意のケーキはベイクドチーズケーキで、みのりはプリンだ。もちろんその他のケーキや焼き菓子もちゃんと作れるけれど、自信をもって毎日作り上げているのはそれになると思う。
伯父のようになりたくて、特に俺は大好きなチーズケーキの類はかなり頑張って勉強してきた甲斐もあって、いまではこうして得意と言えるのかもしれない。
だから、得意なケーキを買ってくれるお客さんに対しては心なしか愛想も良くなってしまうし(もちろんあからさまにじゃないけれど)、それが頻繁となったら顔も名前も覚えてしまうというものだろう。それを贔屓と言われたらそうなのかもしれないけれど……まあ、こちらだって人間だからな、という話だ。
「そう言えば熊井さん、毎月決まった日に来るよね」
「そうだっけ?」
「うん。えーっとね、毎月十七日。日曜日でも祝日でも、毎月十七日なの」
「……よく憶えてるな」
「だってもうかれこれ三年くらいだよ、ウチに通ってるのって」
「そんなになるのか?」
「ね、憶えちゃうでしょ。それでなくても、週一ペースで来てくれるし」
「うーん……そうだなぁ……」
「なんか最近お菓子のブログが流行ってるって言うからさ、そういうの見て来てるのかな?」
「ウチが載ってるとは限らないだろ」
「まあそうだけど」
でも、必ず十七日っていうことはさ、何かの記念日なのかな? と、みのりは言いながら、茶碗の中のご飯を平らげていく。
思っていた以上に足しげくレーヴに通っていているらしい熊井さんに、俺はまた新たな親近感のような感情を覚えた。
素直に常連になっていてくれて嬉しいという気持ちと、どうして決まった日に決まったものを買い求めていくのかが知りたい気持ちがない交ぜになる。
みのりのように誰にでも声をかけられるような性分だったり、もしくは熊井さんにそうさせるような柔らかさがあったりすれば、俺にでももっと熊井さんの領域に踏み込めるのかもしれないけれど……それができないから、ただほんのわずかに愛想よくするしかないのだ。
「お兄ちゃんがもっと陽キャな性格ならもう連絡先ぐらい交換しててもおかしくないのにね。筋肉ほどほどについてて、茶髪でピアスしてるけど全然中身は陽キャじゃないんだもんね」
お節介な性分のみのりは、俺が伯父に憧れていたのを知っている。それがどういう感情の許になのか俺でさえ測りかねていたのを、ばっさりと断言したのもみのりだった。
だからなのか、元来のお節介さもあって、みのりは俺と熊井さんの関わりを必要以上に注視しているようだ。
「……大きなお世話だよ」
夕飯を終えた食器を流しに下げてダイニングを出て行く俺を、みのりが何か言いたげに見ていたが、気付かないふりをしてやりすごした。
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