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*3 知ってしまった彼のこと(後編)
自分が、男が好きなんだと自覚したのが伯父の死で、それも、自分の好みは伯父のようにいくつも年上の相手に抱かれたいというものだということに気づいたのは二十歳を過ぎた頃だ。
妹のみのりは俺がゲイであることをなんとなく知ってはいるようだけれど、だからと言って、彼女に自分の性的なことまでも知られるのも気まずいので、俺の性的欲求を満たすツールはもっぱらマッチングアプリによる一夜限りの関係がほとんどだ。
自覚を持ち始めた二十歳頃こそそういうアプリでの出会いで欲求を満たそうとしていたけれど、仕事が忙しくなるにつれて最近は利用頻度も減ってきていた。
でも時々、ほんの時々、無性に抱かれたくなる夜というものがあるんだ。
「待ち合わせは……新宿南口……ここ辺りにいればいいかな」
熊井さんに家族がいるらしいことを知った晩、俺は寝際に久々にマッチングアプリにログインした。
俺の好みは、十五~二十歳くらい年上で、痩せ型で、遊んでない感じの人。一晩限りのつもりだから、それ以外の条件はあまり気にしないようにしている。よっぽど、暴力的だとか変態的なプレイさせられるとかじゃなければ。
小一時間ほどあらゆる登録会員のプロフィールを読み漁って、俺の琴線に触れるプロフを書いている人に行き当たった。四十代、痩せ型体型、甘いものが好き。
すぐにメッセージを送って、返事をもらって、割とすぐに会うことになった。それがあの晩から一週間経った今日だ。
商店街のある地元から電車で小一時間ほど都心に行った場所での待ち合わせをしている。俺の目印はライムグリーンのTシャツに茶色の髪、そしてピアス。相手の目印はグレーヘアーにライトブルーのポロシャツだ。
「――ツキくん?」
待ち合わせの改札口に佇んでから五分ほどした頃、不意に背後から声をかけられた。ツキ、とは俺のアプリ上の登録ネームだ。
低く落ち着いた声の感じから、プロフにあった俺より十七は年上だということは間違いなさそうだ……目印の髪色とシャツの色を思い描きながらそう思って振り返り、俺は名を呼んだ声の主の姿に驚きを隠せなかった。
「え……“KOU”さん?」
振り返った先にいたのは、グレーヘアーにライトブルーのポロシャツの“KOU”さん……であるはずの熊井さんだったのだ。
熊井さんは熊井さんで、まさか行きつけのケーキ屋のケーキ職人がいるとは夢にも思っていなかったという顔をしている。
お互いのアプリのプロフの写真はピントのはっきりと合ってないぼやけた姿のものしか掲載していなかったので事前に気付きようがない。
「君は、レーヴの……」
白い仕事着でなくても派手な見た目の俺の姿を覚えているのか、向かい合う相手は俺だどこの誰なのかを口にしようとする。
そうだと名乗ればいいのか、違うと言い張ればいいのかわからない。ただ顔を見るのも気まずい空気が俺と彼の間に漂う。
俺の今日の目的は、彼のことで落ち込んだ気分を晴らすためだった。彼に似た男に抱かれて、出来たら甘やかされて、それで気を紛らわせようと思っていた。
それなのに――巡り会ったのはその本人。アプリの趣旨が趣旨なので、お互いの目的は包み隠しようがない。
恥ずかしさと戸惑いでその場から動くことも、彼から顔を逸らすこともできない俺は、ぼんやりと涼しげな彼の目許を見つめていた。
どれくらいそうやってぼんやりしていただろう。ああ、もう今日はナシだな……そんな考えがようやく浮かび始めた時、不意に、目の前の彼が俺の手を取って歩き始めたのだ。
「え、あの……」
戸惑いを隠せない声で俺が呼び掛けても、熊井さんはただ無言で歩き始めた
人混みであふれた駅前の通りを突っ切るように、どんどんと賑やかな歓楽街の方へ進んで行く。
強く握られた手は骨っぽくてあたたかで、記憶の中の伯父の感触よりも少し年を経ている気がした。
どこに連れて行かれるんだろう――目的が目的な逢瀬なだけに、行先はわかりきっていても、俺はそんなことを考えていた。
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