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「やりませんよ。あとはお二人で審査なさい」
「何を言っているんですかそういう訳にはいかないでしょう」
アンリは完全にへそを曲げていた。誰が好き好んで他の男にアンナの香りを味わわせてやらなければならないのか。彼女の香りは私だけのもののはず。
「あの、なんか私余計なことしちゃいました?」
「いえ、アンリ様がおかしいのです」
クロードが生真面目に答える。
「俺は責任とってほしいかなー…あ、残り1分で責任取って下さいね」
ジャックは責任を押し付けた。
「え?私!?1分て…」
アンリは我関せずクッキーを摘まんでいる。味は気に入ったらしい。
一方杏奈は焦った。このままだと魔術師の皆さんにも迷惑をかける。
「え、まってまって…あ、今更ですけど副隊長って私のその、言えないような部分はどれだけご存じなんですか?」
「残り30秒です」
「精霊の力やアンリ様の恋人であるという話なら共有されてますよ」
「20秒」
将棋の残り時間みたいに読み上げないでよ!と思いつつ焦る。残り僅かでアンリ様の機嫌を直す…直す…杏奈はちらりと魔法塔を見る。まだ魔術師の姿は見えない。
「10秒」
杏奈はアンリの肩に手を置くと、思い切って額にキスをした。僅かにちゅっとリップ音を残して離れる。
「うぅ…アンリ様、これで機嫌直してください…」
羞恥から蚊の鳴くような声でそう告げれば、アンリが軽く抱き寄せた。
「はぁ。そんな可愛いことをされて直さない訳にはいかないでしょう」
そして小声で「あとでもう少しご褒美下さいよ?」とねだる。
杏奈はコクコク頷き、真っ赤な顔でお茶を下げ始めればちょうど次の番の魔術師がやってきた。
「俺たちは何を見せられているんだ」
「同感です」
その後、休憩を挟みつつお昼を僅かに過ぎるまでテストは続けられ、アンリは大人しくその場で審査を続けた。
「奇跡だ」
「予定通りに終わるとは…」
「皆さんご苦労様でした。まぁ今年はそこそこ楽しめましたかね。アンナから評価用紙を受け取って下さい。ああ、合否も書いてありますよ。はい解散」
魔術師が杏奈の周りに群がる。
何か役割を欲していた彼女に出来るだけ自分の目の届く所での役割を与えたつもりだが、同時に他の者の目に触れさせる機会も増えてしまった。本当は、部屋の中に閉じ込め独り占めしてしまいたい。
そんな病的な独占欲があることを、彼女は知ってか知らずか、「お疲れ様でした!」と満面の笑顔で対処している。
全員分渡し終えると、彼女は「では管理室に戻りますね!」と手を振って魔法塔に走って行った。
「可愛いですよね、彼女」
「そういう肯定しても否定しても命が無くなる様な質問しないでいただけますか」
「アンリ様って意外と色ボケするタイプなんですね」
「私も知りませんでした」
ところで…と、クロードが真面目なトーンになる。
「占天師の話はお聞きですか」
「ええ、そういう時期ですからね」
占天師は星と天候を読む者、つまり占星術と気象予報士が合体したようなものだ。科学的というより魔術的に読んでいるが、正確性は高い。
「陛下からも話は来ています。どうして収穫祭と重ねて来ますかね、嵐も」
「というか嵐が去ると収穫祭だから仕方ないですよね」
「川は昨年固めたから大丈夫と思いたいですね。3年前の大嵐の規模を越えれば危ないでしょうが。まぁそこまでの風ともなると川だけ対処しても仕方ないですね」
収穫祭は秋の収穫後に行われる。しかし収穫が終わるかどうかというタイミングで大体冬前の嵐が来る。占天師が今年は早まりそうだと言えば多少未熟であっても収穫せざるを得なくなるし、ギリギリまで待って全滅させてしまった農家もある。
収穫が終わり、嵐が去った最初の満月の日、収穫祭が行われ人々は冬に備えるのだ。
「どうなさるんですか?」
「どうもこうも、やるしかないでしょう。今年は大きいそうですよ」
「やるとは…」
「私もそろそろ過去とは決別しなければならないということですね」
二人が同時にアンリを見る。
「それは…彼女が関係してますか」
「ないとは言えない…いえ、そうですね。彼女、前にテラスから落ちたじゃないですか」
「ええ、聞いています」
「結果的に助かってますけど、あれは私の中では完全にアウトです。天才が聞いて呆れます」
アンリは手元を見ながらあの日のことを思い出す。手を握り、開けば炎が灯った。
「もう20年です。そろそろ前に進んでもいいんじゃないですかね。彼女はただそのきっかけになっただけ」
また手を握ると火は消え、次に開けば水の玉。左手に雷の玉を出して水と一緒に空に投げれば、混ざり合い光の粒になって消えた。
「我々に出来ることは」
アンリが右手で何かを持ち上げるような動作をすると、地面から盛り上がった土が一輪の薔薇の形になり、砂となって散った。
息をするのと同じように、基礎魔法の4つを自由に操れる。残り一つ、風だけはそうはいかなかった。
「なにも」とアンリは言う。
「何もしなくていいです。というか手を出さないで下さい。あなた方がやるべきは、私が駄目だった時の街への対応です」
それと、とアンリは付け足した。
「レネにもお願いはしてますが、彼も今それどころではなさそうでしてね。全く、なぜこのタイミングに陛下は面倒を持ってくるのか。…アンナをよろしくお願いします」
「俺は嫌ですよ、お願いされません」
ジャックが反論する。
「アンリ様天才の名を欲しいままにしてるんですから、お願いされません」
「私もです。上官の恋人の面倒なんてどうやってみたらいいんですか。お断りですね」
アンリは二人の返事を聞くと笑った。
「なら仕方ないですね、無事戻りますよ」
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