いざ出陣

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 総大将の今川義元が討ち取られたという知らせは、すぐに今川全軍に知れ渡った。  今川軍は戦を諦め、ちりぢりになって撤退していく。  織田は奇跡の勝利を収めたが、将兵はそれをなかなか信じられなかった。 「まさか生き残れるとは……」 「ああ、死ぬんだと思ってたぜ」 「さすがは殿だ! 勝つと思っていた!」 「誰だ、籠城するとか言った奴は。センスがない!」 「織田最強! 信長最強!」 「約束通り、残業代出るかな」 「むしろ報奨金だろ?」 「それにしても何て無茶な作戦を立てたんだ」 「失敗したら死んでいたぞ」 「部下を危険にさらすなど許せん! 訴えてやる!」  信長に将兵の愚痴は聞こえていたが、何も言わなかった。 「殿、言わせておいてよろしいのですか?」  さすがの秀隆も信長を気にかける。 「言わせておけ。勝てば十分」  もともと負ける戦いだった。  虫のように蹴らされて、「やっぱ負けたか」とつぶやいて終わるはずだったのだ。  だが勝って生き残った。 「むしろ、こんな過酷の戦いについてきた将兵には感謝の言葉を送りたい」 「これはまた殊勝なことを!」 「ふん、好きにいってろ。俺は天下を取る人間だ。戦国を終わらせるまで、何と言われようと進み続ける」  こうして桶狭間の戦いは織田軍の勝利で終わった。  大逆転劇は織田信長の名を天下に轟かせることになる。  信長は曲がってしまった刀を捨て、義元の刀を自身の佩刀としていた。  左文字(さもんじ)という名刀で、持ち主の名から、三好左文字、宗三左文字と呼ばれる。  三好政長(三好宗三)から武田信虎(武田信玄の父)、そして今川義元に贈られていた。  その後、信長の死後、豊臣秀吉に渡り、子の秀頼に引き継がれる。  そして徳川家康に贈られた。大坂の陣では家康が左文字を帯びていたため、天下取りの刀と言われることになる。  信長は二尺六寸ある太刀であった左文字を二尺二寸一分まで短くしている。  南北朝時代は馬上で振れる長い太刀が主流であったが、戦国時代には徒歩で振れる打刀が流行したからである。  そして刀身に「織田尾張守信長」「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀」と、自身と義元の名を刻んだ。
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