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男女平等が叫ばれるようになってから男女の優劣が時として論じられるようになったかと思う。小生の管見の限りでは、どっちもどっちと言わねばなるまい。但、男に出来て女に出来ないことはあるが、女に出来て男に出来ないことはないと言える。あるとすれば、AV女優とか出産とかだが、それは身体的性別に拘わる、しょうがないことなので問題外として述べると、男に出来て女に出来ないことは、この世の数多の創造に不可欠な発明と力仕事だと思う。力仕事のいらないミクロな物から大勢の力仕事を必要とする大建築物に至るまで、小生は這般に関わる女の発明家も力仕事をする女もイメージ出来ないのである。世紀の大発明はほぼほぼ男がやって来たし、無論、力が劣るからだ。そして発明も力仕事も文明社会の実現と発展には必要不可欠な要素なので男女の優劣を決める上で高いウエイトを占める、と男である以上、言いたいところだが、大量破壊、大量殺戮を生む兵器をも作り出したのだから偉そうなことは言えない。近代現代兵器が出来る以前も元始時代から戦争戦争また戦争、女社会ならこうはならなかったかもしれないし、一将功なりて万骨枯るとはよく言ったもので戦争の為のみならず、これまで文明社会を築く為にどれだけの男が選ばれたる権力者が強いる過酷な労働によって犠牲になったことだろう。その陰でどれだけの女が泣いたことだろう。
それこそが女に出来て男に出来ないことか、男社会だからか、内助の功とか、他には例えば子育て、これだっていざとなれば、やって出来ないことはないし、女が繊細なのに対し男は大雑把だから細かいことが出来ないかというとそうでもなく寧ろ繊細じゃないと生まれようのな音楽にしろ美術にしろ文学にしろ哲学にしろ圧倒的に男の方が優れたものを残している。女が得意そうな料理や服飾にしても一流のコックやデザイナーを見れば分かる通り男の方が優れた者が多い。スポーツに至ってはどの種目も男の方が優れている。その他とんな分野も男の方が優れていると言って良い位である。
女だって教育も仕事も能力に応じて平等に与えられたらモーツァルトにもセザンヌにもゲーテにもニーチェにもなれたのよと女性は反論するかもしれない。確かに日本の教育方法では若い芽を摘んで天才を潰すに違いない。その子の持つ才能を伸ばすにはあれもこれも詰め込ませるのではなく才能を伸ばすことに特化した教育が必要なのに誰も彼も同じ学校に入れて同じ教育をうけさせてはね、小生も被害者の一人で絵の才能を全く伸ばせなかった。嗚呼、日本では芸術家は実に育ち難い。殊に芸術を生み出す繊細さというのは男にしか宿らないから女はモーツァルトにもミケランジェロにもゲーテにもニーチェにも成り得ないのだ。それと言うのが女の美を異性として賞玩することは男にしか出来ないからだ。で、今、真っ先に頭に浮かんだのはショパンのノクターン。嗚呼、どんな女性アーティストにも到底思いもつかないであろうガラスのハートを思わせる繊細な余りに繊細な美しくも物悲しいメロディーを生み出す所からして美女に恋し失恋した男に違いない。
そうは言っても一般庶民の中で、そんな男性はまずいないし、同年代の男女を見ても男の方が子供っぽいとか、そんな理由から女性の方が優れていると言えなくもない。と言うか男の方がだらしなく見えてしまうだけかもしれないが、そもそも同じ人間なのだから優劣を決めようとする事自体可笑しいのであって思えば戦時中、武器製造に駆り出されたのは女性たちであったが鬼畜米英をやっつけろとばかりに一丸となる、その結束力は男には真似出来ない物凄いものがあり、製造に打ち込む姿は一途そのもので集中力は半端でなく、その銃後の女性の生産性は男より優るのである。だから適材適所、女性にも仕事を与え、能力を発揮させ、働きに見合った賃金を与えなければならないのであるが、相変わらず日本は男女差別が歴然とあり、女性は仕事に関して中々満足を得られず賃金は男より格段に安いのである。何事も持ちつ持たれつではないか、何故、格差をつける?同じ人間なのに…
曾て、「元始、女性は太陽であった」と平塚らいちょうが言った通り女性は男にとって文字通り太陽のように明るい、生きる源泉とすべき存在であるから幾ら科学が進歩してAIロボットが家庭にも職場にも進出して来たとしてもこれからもよろしく頼みますと謙虚な心構えでいなくてはならないのである。
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