アムンゼン 5

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 が、  逃げ出せんかった…  なぜなら、猿の太郎が、リンダに抱かれたままだからだ…  そして、その太郎の首には、ヒモがかけられていて、そのヒモは、この矢田が、握っていた…  だから、逃げれんかった…  それとも…  それとも、このヒモをリンダに、渡して、逃げようか?  私は、悩んだ…  真剣に、悩んだ…  が、  できんかった…  できんかったのだ…  なぜなら、太郎には、恩がある…  その恩人、いや、恩猿の太郎を置いて、このまま、逃げるわけには、いかんかった…  いかんかったのだ(涙)…  また、すぐには、気付かんかったが、今、すでに、私たちの周りには、アムンゼンのボディーガードたちが、いた…  だから、誰も、私たちに、近寄ることは、できんかった…  真逆に、言えば、この場から、私が逃げ出すことも、できんかった…  ならば、なぜ、このリンダは、私たち、いや、アムンゼンに近寄れたか?  それは、このリンダが、アムンゼンと、すでに、面識があるからだった…  さっきも、説明したように、このリンダは、アムンゼンから、  「…今度、一度、サウジアラビアに遊びに来ませんか?…」  と、誘われた…  この矢田に言わせれば、口説かれた…  が、  当人は、そんな感覚がまるで、なかったようだった…  しかし、この矢田に、言わせれば、そんなアムンゼンの言葉に、乗せられて、サウジアラビアに行けば、アムンゼンの妾になって、二度と、帰って来ることは、できんだろう…  きっと、アムンゼンの愛人、2号とか、愛人、28号とかに、なるに違いない(笑)…  なにしろ、アラブ世界は、一夫多妻制だと、聞く…  一人の男が、何人もの妻を、囲ってもいい…  男にとっては、夢のような世界だ…  しかも、アムンゼンは、サウジアラビアの王族…  さらに言えば、その王族の中で、国王に最も、近い存在…  なにしろ、アムンゼンは、現国王の腹違いの弟だ…  それゆえ、以前、国王の座を、我がものにせんと、クーデターを起こした…  つまりは、自らが、国王になろうとしたのだ…  が、  自分は、国王には、なれない…  なぜなら、小人症だからだ…  国王と言えば、どこの国でも、その国の顔だ…  それが、小人症では、困る…  だから、なれない…  アムンゼンは、アラブの至宝と呼ばれるほど、頭脳明晰…  その頭脳は、アラブ世界で、一目も、二目も、置かれているほどだ…  それでも、自らは、表には、出れない…  アラブの至宝と呼ばれているのも、実は、アムンゼンの存在を知るものが、密かに、流した、都市伝説のようなもの…  それが、誰だか、実体は、わからないように、して、流した…  その方が、よりミステリアスな存在になるからだ…  そして、それを、利用して、このアムンゼンは、国王になろうとした…  と、いっても、実際は、国王には、なれない…  何度も、言うように、アムンゼンが、小人症だからだ…  小人症では、人前に出れない…  だから、甥のオスマンを、国王にしようとした…  オスマンは長身のイケメンだったからだ…  オスマンは、サウジアラビア本国で、悪さをして、日本にいる、このアムンゼンに預けられた…  が、  それは、表向き…  本当は、このアムンゼンを見張るためだった…  アムンゼンは、策士…  なにをやりだすか、わからないからだ…  それゆえ、 「…オスマンの面倒を見てやれ…」 と、国王は、アムンゼンに命じたが、実は、アムンゼンの方が、オスマンに見張られていた… そういうことだった… なにしろ、アムンゼンは、一度、国王になるべく、クーデターを起こそうとした… 現国王に、取って代わろうとした… それが、許された… 現国王が、アムンゼンの腹違いの兄だからだった… 母親が、違うとはいえ、血の繋がった実の弟を、処分することは、できなかったのだろう… そして、もしかしたら? もしかしたら?  その処分に、アムンゼンの父親が、関係しているかも、しれんかった…  私は、それに、気付いた…  現国王と、アムンゼンは、父子ほど、歳が離れている…  アムンゼンは、30歳…  現国王は、50代か、それ以上…  だから、それを、考えれば、アムンゼンの父親は、80代ぐらいだろう…  かなり、高齢だ…  そして、高齢ゆえに、国王の座を息子に譲ったのかも、しれんかった…  何度も言うように、国王は、その国の顔…  だから、なにかあったときに、自分の国は、もとより、他国に、出向かねば、ならん…  それが、80代の高齢では、難しいだろう…  誰もが、旅行は、疲れるものだ…  旅行=外国訪問だ…  その外国訪問も、80代では、体力的に、キツイだろう…  だから、国王の座を息子に譲ったのかも、しれんかった…  そう、考えれば、納得がゆく…  そして、アムンゼンは、父と兄が争えば、下手をすれば、サウジアラビア本国が、真っ二つに割れる大乱になるかも、しれんと、言った…  この言葉から、察するに、アムンゼンの父親であり、現国王の父である、前の国王は、国王から、退位したとはいえ、まだ、サウジ国内で、実力を持っているのだろう…  そう、気付いた…  だから、二人が争えば、大乱になると、アムンゼンは、言ったのだろう…  たしかに、権力が、拮抗する二人が争えば、大乱になる…  どっちが、勝つか、負けるか、わからないからだ…  実力が、拮抗するものが、争えば、容易に、決着は、つかない…  格闘技を例に取れば、それは、誰にも、わかる…  そういうことだ…  私は、アムンゼンを見た…  さぞ、悩んでいるだろうと、思ったからだ…  だから、  「…アムンゼン…オマエも大変だな…」  と、言ってやりたかった…  が、  そのアムンゼンを見ると、実に、羨ましそうに、リンダに抱かれた猿の太郎を見ていた…  まるで、今にも、自分が、太郎の代わりに、リンダに抱かれたいと、思う気持ちが、ミエミエだった…  私は、呆れた…  実に、呆れた…  アムンゼンが、今にも、よだれを流しそうな表情で、リンダを見上あげていたからだ…  …情けない…  …実に、情けない…  アラブの至宝と呼ばれた男の、こんな姿をアラブ世界の者が、見れば、一夜にして、その権威は、失われると、思った…  だから、  「…アムンゼン…そんな顔は、するな!…」  と、小さな声で、言った…  「…なんですか? …矢田さん?…」  アムンゼンが、キョトンとした表情で聞いた…  「…オマエ、そんなに、羨ましそうな顔で、太郎を見るな…なにを、考えているか、バレバレだゾ…」  私が、言うと、  「…そんな…」  と、アムンゼンが、照れた…  それから、アムンゼンの近くに、行き、小声で、  「…なんなら、この後、太郎の代わりに、アムンゼン…オマエを、抱いてやってくれ、と、リンダに頼んでやっても、いいゾ…」  と、囁いた…  「…ホ、ホントですか? …矢田さん?…」  「…ホントさ…この矢田トモコ、35歳…これまで、ウソを一度もついたことのない、女さ…」  私は、胸を張って言った…  私の自慢の大きな胸を張って、言った…  が、  これが、いかんかった…  あっさりと、アムンゼンが、  「…ウソですね…」  と、私のウソを見破った…  「…なんだと? …どうして、わかる?…」  「…この世の中の人間で、ウソをついたことのない人間など、おそらく、一人も、いません…まして、矢田さんです…きっと、ウソも多いでしょう…」  「…なんだと?…」  「…矢田さんは、基本的には、善人ですが、ウソも、多い…根は、善人なのですが、平気で、人を騙すときもある…」  「…」  「…でも、それが、人間です…とりたてて、矢田さんを、どうのこうのいうわけでは、ありません…」  「…なんだと?…」  「…なにより、矢田さんは、愛想がいい…正直、矢田さんは、美人ではないですが、誰からも、愛される顔です…おまけに、少々頼りない…だから、誰かが、矢田さんの面倒を見てやろうという、気にさせる…ホント、得なひとです…」  アムンゼンが、私を評した…  この矢田トモコを、評した…  この矢田トモコを、評価した…  3歳の幼児にしか、見えん、男が、35歳の立派な大人である、この矢田トモコを、評価したのだ…  しかも、  しかも、だ…  その評価を、ひとつも、反論できんかった…  なにひとつ、反論できんかった…  その通り…  まさに、その通りだったからだ…  私は、なにか、言おうとしたが、言えんかった…  言葉が、出て来んかった…  反論する言葉が、出て来んかった…  私は、頭に来て、アムンゼンを睨むと、なんと、アムンゼンも、私を睨み返した…  35歳の矢田を、3歳の幼児が、睨み返したのだ…  あっては、ならんことだった…  やっては、いけないことだった…  同時に、頭に来た…  散々、面倒を見てきた、この矢田に平然と、牙を剥くアムンゼンが、許せんかった…  許せんかったのだ…  が、  手を出すことは、できん…  35歳の大人が、3歳の幼児に、手を出すことは、できんかった…  だから、睨んだ…  無言で、睨んだ…  すると、アムンゼンも、負けじと、この矢田を睨み返した…  生意気にも、睨み返したのだ…  だから、この矢田も、負けるわけには、いかんかった…  アムンゼンを、睨み返した…  そして、それは、アムンゼンも、同じだった…  つまり、この矢田と、アムンゼンは、いつしか、互いに、睨みあっていたのだ…  しかも、お互いに、一歩も譲らんかった…  ただ、ジッと、互いに、睨み合ったのだ…  ただ、時間が、過ぎた…  睨み合う時間が、過ぎた…  すると、  「…二人とも、いい加減にしたら…」  と、いう声がした…  ヤンだった…  ヤン=リンダだった…  「…なにが、原因か、知らないけれども、二人が、睨み合うものだから、このお猿さん、困った顔をしているわ…」  「…なんだと?…」  「…きっと、このお猿さん…お姉さんのことも、アムンゼンのことも、好きなのだろうと、思う…」  「…なに?…」  「…二人が、好きだから、その二人が、ケンカしているから、哀しそうな表情に…」  言われてみれば、太郎が、実に、哀しそうな顔をしていた…  リンダに抱かれているにも、かかわらず、実に、哀しそうな顔をしていた…  私は、これまで、こんな太郎の顔を見たことがなかった…  だから、止めた…  アムンゼンと睨み合うことは、止めた…  私は、太郎に、  「…すまんかったさ…」  と、詫びた…  「…オマエを哀しませて、すまんかったさ…」  私は、太郎に詫びた…  誠心誠意、詫びた…  「…だったら、お姉さん…アムンゼンと、仲直りして…」  リンダが、告げた…  「…なんだと?…」  「…お姉さんが、アムンゼンと仲直りしないと、このお猿さん…きっと、哀しいままよ…」  リンダが、告げた…  私は、そう言われると、どうして、いいか、わからんかった…  正直、太郎のためとは、いえ、アムンゼンに、詫びるのは、嫌だった…  が、  太郎を、哀しませるわけには、いかんかった…  だから、アムンゼンに詫びるしかなかった…  ゆえに、仕方なく、アムンゼンに詫びようとした…  が、  先に、アムンゼンが、  「…申し訳ありませんでした…」  と、私に頭を下げた…  私に詫びた…  「…自分が、大人げ、ありませんでした…」  「…なんだと?…」  「…自分の立場を忘れてました…」  アムンゼンが、答えた…  私は、アムンゼンのいう立場が、なにを言ってるのか、わからんかった…  が、  アムンゼンが、自分から、頭を下げたのは、嬉しかった…  私が、頭を下げずに済むからだ…  私の面子が立つからだ…  それを、見た、リンダが、  「…やはり、アムンゼンは、大人ね…人間が、出来てる…」  と、褒めた…  アムンゼンは、リンダの言葉に、  「…そんなことは…」  と、言いながら、顔を赤らめた…  私は、黙って、それを見た…  言いたいことはあるが、あえて言わなかった…  敵に塩を送った…  敵=アムンゼンに、塩を送った…  そんな上杉謙信のような気分だった…                 <続く>
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