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0011 原初のスープ
俺の元の世界にだって、体液やら粘液やらをばらまく生物はいた。
また、ある国では当然のように食されている家畜が、別の国では尊ばれ、それを食べることはなんて野蛮なのだ、とある国に言うような文化的な摩擦だってあった。
だから、当初俺の眷属達に感じた怖気や生理的嫌悪も、所詮はそういう程度のものに過ぎなかったろう。走狗蟲のアルファとベータの「十字顎」にしても、言ってしまえば"慣れ"の問題だった。
鍾乳洞の悪路を踏破し、樹冠回廊という広大な天然のアスレチックゾーンを協力して突破して、外へ行って帰ってきた。その過程で、俺は2体と主従力を合わせて"狩り"という共同作業を行い、望外の成果を得た。
迷宮領主だから、眷属だから、というシステムによって規定された絆がこの関係の始まりではあったとしても、アルファとベータが俺に示す忠誠心や親愛の情は否定し得ない。それは確かに今ここにある"本物"であると言えた。
そんな風に慣れてしまったことで、エイリアンがなぜそうであるか、そこに一つの合理性があることに俺は気づいた。
例えば「走ること」を宿命付けられ、己が存在を表す名とされた走狗蟲。
体長の大部分を占める強靭な後ろ足と、バランスを取るための長い尻尾は完全な筋肉の塊であり、それらには爆発力を生み出すエネルギーを運ぶための血潮が熱く激しく循環していた。
あるいは「労苦」することを定められ、己の役割を示す名とされた労役蟲。
重量物から貴重品の運搬に耐えうるよう、体表には外殻を背負って、複雑な操作が可能でありつつ強固でもある"生きた工具"とも言うべき長大な鋏脚を得た。
いずれも、元は同じ幼蟲から、単世代のままに「進化」した存在である。
実は「進化」という言葉は、本来は複数の世代を経て変化していくことを指す言葉だ、と俺は知っていた。単一の世代で、大きく身体の部位すら含めた形態変化を行うことは学術用語としては「変態」という言葉を使うはずであった。
だが、俺を迷宮領主に変貌させた迷宮核は、それに「進化」という言葉を当てはめたのだった。
複数の世代を経てゆっくりと環境に適応したり、必要を満たすために変化していくはずだった営みを、まるで生物の限界を跳躍するように一気に飛び越えてしまうということ。それが俺の眷属に与えられた「進化」であり「胞化」という言葉の示すところである。
それはあまりにも荒々しく、激しく、生命そのものを原初のスープに一度戻してから再度組み立てるかのような、しかもそれを、数十年数百年かかるその"変化"を、わずか数十時間に凝縮して成し遂げようという、そういう暴力的なまでに生命そのものとも言える営みであったのだ。
そして、問いは最初に戻る。
なぜエイリアンはそうであるのか。
何のことはない。
俺が彼らに「そうあれ」と望んだからであったのだ。
***
俺の"最初"の眷属である幼蟲から進化した『労役蟲』が、"胞化"を完遂しようとしていた。
【揺卵嚢】は肉塊を鳥の卵にして、さらにそれを逆さまに立てた形状をしている。だが、その巨大さは予想を越えていた。俺の身長をゆうに越えて2mはあろうかという体高であったのだ。
そして"卵"の頂には、斜め十文字の亀裂が入っており、まるで涎が垂れるかのように、そこからはぬらぬらとした体液だか粘液だかの混合物を吹き出していた。
"胞化"完了まで、あと数秒。
残り時間がゼロに達するや――鼓動と共に、ちょうど十文字の亀裂を基点にして、ゆっくりと肉塊の外皮がめくれていった。みちみちと生肉を素手で剥ぐような音を立てながら、まるで蓮の花が咲くかのように、揺卵嚢はその"ご本尊"を現そうとしていた。
数枚の分厚い肉皮がべろんと反り返っていく様は、冒涜的な巨大花をも彷彿とさせるようだった。めくれた肉皮はそのまま地面にまで垂れ下がり、揺卵嚢が地面に這わせた無数の肉根と癒合し、同化して統合していく。なるほど、確かにその様は垂れ落ちた巨大な肉の花びらであるとも思われた。
だが、それらは言うなれば"台座"であった。
剥がれた肉皮が織りなした台座の上に鎮座し、無数の肉根によって支えられるかのように、揺卵嚢の本尊とも本体とも言うべき器官が存在していた。
それは、巨大な肉の"杯"だった。"口"からは絶えず幼蟲の体液を思わせる黄緑色の液体を吹き出しており、さながら、肉でできたシャンパングラスにも思えた。
引きずり出された巨人の心臓の如く、揺卵嚢はその全身をどくんどくんと生々しく蠢かせ、鼓動を繰り返すシャンパングラス。
――なるほど、これは確かに「進化」をする走狗蟲の系統とは違う、と俺は納得した。まるで肉が植物を模すかのように"根"を伸ばし、"葉"を広げ、"実"をつけているのである。
故に「胞化」ということ。そして剥き出しの臓器のようであるその様は、今俺は植物に喩えたが、どちらかというとむしろ巨大なキノコを生やす菌類や"胞"子の類に近いように思われた。
そして、一体の労役蟲をして、このような姿形に変貌せしめたのは、俺の意思と望みによってである。
"揺卵"すべしという役割を彼に与えた者の責任として、俺には、彼が果たすその"役割"を俺自身の目で見極め、確かめ、そして知る義務があるのであった。
俺は意を決し、その"口"の中を覗き込んでみた。
頑張れば人一人ならば入ることができそうな空洞がそこに広がっている――だが、内壁には無数のうねうねと蠢く突起物がひしめいていた。手などを突っ込んでしまったら、たちまち隈なくマッサージでもされてしまうことだろう……そんな別の意味での怖気を感じつつ、うねうねをさらに仔細に観察する。
それらは不定期に、鍾乳洞の魔素と命素の仄光に反応して、まるで同期するかのように明滅していた。【魔素操作】と【命素操作】を発動したところ、ちょうど俺が【幼蟲の創生】を発動する時と同じような魔素と命素の流れが渦巻いていた。
「そうだよな、それがお前の役割、だものな――【情報閲覧】:対象、揺卵嚢」
俺はそばに控えていたアルファと、揺卵嚢の周りを興味深そうにぐるぐる回っていたベータに向けて、彼らに彼らの"先輩"を紹介するように技能の発動を諳んじた。
【基本情報】
種族:エイリアン=ファンガル
名称:揺卵嚢
位階:5
【コスト】
・生成魔素:300
・生成命素:260
・維持魔素:65
・維持命素:40
【技能一覧】
・幼蟲の創生:3
【存在昇格】
・胞化:???(更なる因子の解析が必要です)
光の板を眺めていると、ベータも興味深そうに覗き込んでくるのだった。
だが、果たしてエイリアンには「日本語」がわかるのだろうか? という疑念が湧いた。アルファもベータも、あまりわかっていなさそうな様子であったため、俺は2体には好きにさせておくことを決めた。
案の定、ベータなどはすぐ飽きてしまったようで、揺卵嚢を突いたりちょっかいを出していたが、俺は考えをまとめるのに夢中だったのでそれを無視することにした。
『揺卵嚢』について気づいたことは、以下の通りであった。
まず『種族』は、エイリアンはエイリアンでも「ファンガル」という派生種族。これは"胞化"と言う語といい、やはりその生態は菌類――要するにキノコに近いという「世界認識」の影響だろう。
『コスト』で維持コストが走狗蟲や労役蟲と比べてケタが一つ増えていたが、その"役割"を考えれば納得もいく。『技能』の項には、これ以上無いほどわかりやすく【幼蟲の創生】の語が存在を強く主張していたからだ。
つまり、俺と同じことができる。
――あるいは俺の技能を補助・強化・拡張することができる存在である。
迷宮核の知識からは、迷宮の構成要素として眷属の他に『施設』というものが説明されていたが、俺の場合は、それはまさにこれということだ。維持コストの考え方が眷属とは異なるのも頷けた。
俺は改めて自分自身のステータス画面を開いて、『保有魔素』と『保有命素』を確認してみた。
労役蟲の何倍もの大食らいである揺卵嚢が誕生したことによって、俺から時間あたり多くの魔素や命素が吸い出されている……ということは無論なかった。
大気中に漂うとされる魔素と命素が「維持」や「生成」のコストに当てられており、俺の"保有"分はあくまでも俺のストックで、俺が能動的に使うことができる分。そしてそれすらも、使って減った分は自動的に、俺の心臓に宿った迷宮核が自動的に周囲から吸収していることが、外の探索から帰ってきた後にわかったのだった。
そして、ここからが俺の仮説であったが、俺は大気中を漂う魔素と命素には"濃度"か、あるいは"流量"みたいなものがあると考えていた。
さらに、それは場所によって異なっている。具体的には、俺は【闇世】では"異界の裂け目"の付近が最も魔素・命素の濃度が高く、そこから離れるほど薄くなっていく――そういう仕組ではないかと考えていた。
その理由は――
「これ、だな」
俺は自分の左胸に手を当てた。
心臓の鼓動が魔素と命素の流れを伴っており、確かにそこに迷宮核が宿っていることを、いつでも思い出させてくれる。
迷宮核は"異界の裂け目"の付近に配置され、迷宮を生み出す存在である。つまり、元々迷宮核があった場所は必ずその近くに"異界の裂け目"があり、俺もまだそちら側への探索は本格的にしてはいないが――魔素と命素の圧倒的な気配と流れを、洞窟のある方角から感じていたのであった。
"異界の裂け目"から、つまり【人世】から大量の魔素と命素が、流れ込んできている。そしてそれが「迷宮」を経由して――【闇世】の奥にまで浸透している。
濃度があるとすればそれが最も高い場所は迷宮核が配置されていた場所であり、さらにその中でも"異界の裂け目"の付近が最高となるだろう。
迷宮は魔素と命素をリソースとして、眷属や施設を配置して構築される存在であることを考えれば、より"異界の裂け目"の近くに「迷宮」を構えるのが経済的である。その意味では、なかなかに上手くできている仕組みだと思われるのだった。
ただし、潤沢にあるからといって――むしろ潤沢であるからこそ、そして"経済"と言うならばこそ、俺はその「限界」を知る必要があった。
例えば幼蟲の維持魔素と維持命素はそれぞれ2と3だが、一度に幼蟲を10万体運用するとしたらどうなるだろうか。
20万の維持魔素と30万の維持命素を「この鍾乳洞」は賄えるのだろうか? それが無理だというのならば、1万体で大丈夫なのか。逆に10万体が大丈夫なら、100万体はどうであるか。
大気中に漂う魔素と命素が仮に"無限"であったとしても、時間あたりの充填率のようなものがある。俺は適当な技能を空撃ちして、俺自身の『保有魔素』と『保有命素』の減少分が徐々に回復していく時間を【精密計測】しながらそのことを確認するということもした。
魔素と命素が"にじみ出てくる"量と、眷属だとかがそれを消費する量とで、もし消費する速度の方が早かった場合――魔素と命素はその空間からはその瞬間枯渇してしまう。
枯渇した後はどうなるか。魔素と命素が変わらぬ速度で供給され続けていたとしても、その端からたちまちに消費され尽くしてしまう。足りない分はさらに周囲の大気や空間から吸い取られる。つまり枯渇した空間が"広がっていく"ことになる。
消費する者が多すぎると、全員に行き渡らなくなってしまうどころか、その行き渡らない空間が拡大する――そういう仮説だった。
そして眷属の維持コストを支払えなければ、彼らは死ぬ。施設も停止し、俺もまた魔素や命素を利用する技能などが使えなくなる。
つまり、これは俺が「どれだけのエイリアンを養えるか」という問題なのであって、迷宮領主としての戦力に直接関わってくる話である。今後、他の迷宮領主と争う可能性を考えれば、走狗蟲を100体保有できるのか1万体保有できるのかというのは、これからの軍事戦略や俺自身が何をするべきかという方針を大きく左右する重要な問題であった。
そういう意味での「限界」を知るために、俺の望むペースと速度で、俺の代わりに幼蟲を生み出してくれる「生産施設」が重要だったというわけである。
早速、揺卵嚢の力を確かめようと、俺は改めてその肉の外皮に触れた。
自分と揺卵嚢との間にある迷宮領主と眷属としてのリンクを意識しながら、触れたのだった。何となく、そうすれば良いという確信があった。
――世界認識の最適化を検知。技能【幼蟲の創生】用の"拡張端末"への接続を確認。『揺卵』ウィンドウを新定義――
世界認識の最適化が発動して、俺の脳内にシステム通知音を鳴り響いた。
すると、目の前で広げたままとしていた揺卵嚢のステータス画面に、新たな項目が追加されていたのだった。
【設定】
・自動揺卵:OFF
・生成倍率:1.0倍
(推定2時間、消費魔素・命素1倍)
・生成後処理:<待機>・排出
「なるほど、"拡張端末"と来たか」
表示が更新された揺卵嚢のステータス画面と、蠢く肉塊型の巨大シャンパングラスを見比べながら、思案を込めて俺は独りごちた。
気になっていたことであったが、この"拡張端末"ウィンドウと言い、これまでの【情報閲覧】による「ステータス画面」といい、他の迷宮領主達も本当にこの辺りは「同じ世界認識」なのか? という疑問が湧いたからだった。
まるでゲームのようだ、と何度も思ったことであったが――。
あるいは、それはたまたま俺が『客人』であり『異人』であって、そういう技術や娯楽が発達した世界からやってきた、そういう「世界認識」が迷宮核によって読み込まれた結果であるかもしれない、という可能性に思い当たったのだ。
他の迷宮領主には、原理や効果は同じ技能であったとしても、ひょっとすればこのような形では認識されていないのかもしれない。
――このことはその場ではただの思いつきだったが、それが俺と他の迷宮領主達を分かつ、重大な差異であることを俺が知るのは、ずっと先のことだった。
果たして、俺は"拡張端末"としてのステータス画面のウィンドウに触れ、30分ほど数値やパラメータを様々にいじった。俺の操作に反応して、揺卵嚢がうねうねと杯の姿勢や台座の形を若干変動させていたのでちゃんと効果はあったようだ。
そしてその役割は予想通りで、揺卵嚢は俺の代わりに【幼蟲の創生】を発動するエイリアン=ファンガル。自動化ができ、さらに余分な魔素と命素を消費して、生成速度を変化させることもできる『生成倍率』という項目の能力まで有していた。
初日に【魔素操作】【命素操作】で試行錯誤を重ね、やっと"ちょうどいい"生成速度を見出した俺とは雲泥の違いだが、それが揺卵嚢の役割なので、俺よりも遥かに得手であってもおかしいことではないだろう。
ただし、直接比べた際の効率は悪い。生成倍率を「1倍」に設定したところ、新たな幼蟲卵を生み出すのに必要な時間は、計算上2時間であった。これは俺が自分で生み出す時の12倍である。
しかし拡張ウィンドウをいじっていると、生成倍率を変化させることができることに気づいたため、俺は最大値と最小値を調べてみた。
すると最大倍率では生成速度が10倍となる代わりに消費する魔素と命素が3倍、最小倍率では生成速度が10分の1になる代わりに、消費する魔素と命素は5割減となることがわかった。
そこから計算をすると――揺卵嚢を生成倍率0.1倍で10基並べたとすると、最終的な幼蟲の生成コストは、生成倍率1.0倍で1基の時の半分になる。
魔素と命素だけをリソースとして考えれば、生成倍率0.1倍に設定した揺卵嚢を数多く並べる方が"経済的"である、と思えた。それは部分的には正しい考え方だろう、経済的な効率性だけを考えれば。
しかし、実際にその10基が10体の幼蟲を生み出すまで20時間かかっていることを無視することはできない。「時間」も資源として捉えれば、2時間毎に1体が得られることと20時間毎に10体得ることとでは、大きな違いがあった。
20時間後時点での戦力は確かに同じだが、現実には、生成倍率1倍で2時間かけて早く最初の1体を生み出してしまえば、その1体は残りの18時間分の時間で働かせたり「進化」させたりすることができるのである。
20時間後にやっと10体の戦力を得る間に、攻められるようなことがあれば意味が無いだろう。逆に、2時間毎に1体であれば、20時間後までの間に1~9体を先行して動かすことができるのだ。
生成倍率を上げるということは、言ってしまえば、魔素と命素で時間を買う、というようなことだ。戦術面での柔軟性を考えれば、多少高く付いても「早く」戦力を得るのも一つの選択肢になる。
そして、今の俺にとって「時間」は重要なものだった。
揺卵嚢を「生成倍率10倍」に設定し、12分ごとに幼蟲卵を得られるようにしておいた。当面の戦力と労働力が整い、また大気中を漂う魔素と命素の"流量"の限界がわかるまでは、ひとまずこれで回していけばよいだろう。
拡張ウィンドウの操作を終えるや、それまで自由にエイリアン的な鼓動で収縮していた揺卵嚢が、命令を与えられた機械のように、一定のリズムの蠕動に切り替わった。広げられ、杯の台座となっていた肉皮が、まるで花びらの開花を逆再生するかのように戻っていき――揺卵嚢は胞化の完遂直前の逆卵、"つぼみ"の形態に戻った。
周囲の仄光の明滅と同じように、その内側の無数の肉のうねうねが明滅を同期し始めたのが、漏れ出てくる光からわかった。
「始まったな。じゃあ、次の確認事項だ――まだまだ"解析"できそうなネタはあるからな。しかも今増えたわけだしな」
持ち帰った「因子」候補を含む戦利品達。
そしてそれに加えて――俺は揺卵嚢に【因子の解析】を発動しようと企てていたのだった。
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