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0003 超常を完遂することの意味
黄色い薄膜に包まれ、胎動するように脈打つ、手のひら大の"卵"。
いや、どちらかというと、胎児を孕む子宮がまるごとずるりどちゃりと地面からぬめり生えてきたかのような、そんなちょっとだけの生理的な気味悪さを湛えた光景。
俺は【幼蟲の創生】について、RPGゲームなんかでいう「召喚魔法」のように無意識に思い込んでいた自分に気づいた。つまり、直に「完成形の」モンスターが忽然とその場に姿を表すように生み出される、というイメージでいた。
だが、目の前には、孵化する気配なんぞ一切無いんじゃないかという、卵。
ただ、ひたすら卵。
胎動する、赤と青の太い血管が何本もうねうね蠢く肉塊であるが――しかしそれは圧倒的に、卵。
それから1時間、俺はあぐらをかいた姿勢でそいつの反応を待っていた。
どくどくと表面を波打たせてはいたが、これっぽっちも孵る様子が無かったのだ。それで、さすがにちょっと心配になってきたところで、ふと閃くことがあった。
「まさか、孵化するのには追加の魔素だか命素だかが必要とかじゃないだろうな?」
まだ、この"実験"は半ばということだった。
俺は観念して、改めて手のひらに魔素と命素を集中させるイメージを現実に重ねていった。
今度は諳んじずに、技能【体内時計】の存在を意識しながら、1秒、2秒と時間を頭の中で計測。正確に5分間を数えて、魔素と命素を光の球に混ぜ合わせる。
「――よし」
一つ頷き、俺は光の球を目の前で脈動する肉塊型の卵に向けた。
その時俺は、多少、興奮していたのだと思う。つい、掌の中に渦巻く魔素と命素のエネルギーの塊を、加減を考えずに勢いよく"卵"に注ぎ込むイメージを叩きつけ――
水がたっぷり入った風船が弾け飛んだような音。
いや。それは実際に弾け飛んだのだった。
悲鳴をあげるように"卵"の薄膜が破れ、血管がまとめて千切れ飛び、中の黄色い液体が辺りに激しく飛び散った。
何かに成長できたかもしれなかった、黄色い液体がべっちゃりと俺の全身に垂れた。独特の鼻をつくような刺激臭に、鼻の奥が刺激されて、俺の意思に関係なく涙が滲んできた。
「うあああ――――…………」
色々と押さえつけていた感情が爆発したような心地で、俺は両手で頭を強く掻きむしり、そして脱力するのだった。
***
結局、それから試行錯誤することさらに5回。
失敗して弾け飛ばしてしまったら、魔素・命素を練って卵を作るところからやり直し。
技能【体内時計】の効果で、今の俺はかなり正確に時刻を測ることはできていた。
幼蟲の創生に必要な「時間」については、もうほぼ把握していたが――疲労による集中力の乱れで、魔素と命素の制御が上手くいかずに失敗していた。
技能【魔素操作】と技能【命素操作】という、おそらくは迷宮領主の基本的な権能を与えられていて、この有様だ。
あるいはこの2つの技能とも『技能レベル』がたったの「1」しか無いからであるか。せめて【体内時計】のように、魔素や命素の量がパラメータのように可視化できないだろうか。
たとえば【情報閲覧】に、その辺りが項目として記載されたりはしないか……。
そんな風に自問した時のことだった。
――世界認識の最適化を検知。新たな技能連携を定義――
――対象:情報閲覧、魔素操作、命素操作――
それは迷宮核に触れた瞬間、意識を丸ごと刈り取られた時に聞こえた、例のシステム音だった。
そいつが再び頭の中に鳴り響いていた。俺は反射的にまたあの混沌の奔流が頭を内側からぶん殴ってくるかと身構えたが、しかし、幸か不幸か、そのような衝撃は襲っては来なかった。
ただし、何かが変化してしまって戻らない――というような胸のざわめきを感じて、俺は【情報閲覧】を自分自身に発動した。
【基本情報】
名前:※※未設定※※
種族:迷宮領主(人族[異人系]<侵種:ルフェアの血裔>)
職業:※※選択不可※※
爵位:郷爵
位階:1
状態:健康
保有魔素:624/1,000 ← NEW!!!
保有命素:818/1,000 ← NEW!!!
俺の「ステータス」に新しい項目が追加されていた。
ご丁寧に「NEW!!!」と、前回との違いを強調するような表示までされた状態であった。
「なるほどな、確かに"最適化"だ」
どうも、俺が与えられた迷宮領主の力には、まだまだ俺が捉えきれていない何かがあるらしいと思われた。あるいは、様々な現象を引き起こす「技能」というこのシステムそのものがそうであるか、とも思われた。
しかし、今は目の前の課題から取り組むしかない。浮かんだ疑問や考えを一旦捨て置き、俺は無理やり気を取り直して、作業を再開した。
今度は、【情報閲覧】によるステータス画面を開いたまま、【体内時計】による時間の計測に合わせて「保有魔素」と「保有命素」の変動にじっと注意を向けながら、魔素と命素を練っていった。
***
時間、魔素、命素。
3つのパラメータの変動に注意しながら、そのまま試行を重ね、さらに3時間が経った。そして俺は【幼蟲の創生】と魔素、命素の関係について次の結論に至った。
幼蟲の生成に必要な魔素は30単位、命素は10単位である、と。
そこまで計算して、そして【情報閲覧】をふとものは試しと、幼蟲卵に対して発動してみたのだった。
「情報閲覧:対象ラルヴァ=エッグ」
【基本情報】
種族:蟲?
系統:幼蟲卵
位階:1
【コスト】
・生成魔素:30
・生成命素:10
・維持魔素:0
・維持命素:1
・孵化魔素:10
・孵化命素:30
このように、最初から【情報閲覧】すれば、魔素と命素がどれだけ必要であるかは全部わかっていたわけだ。
俺の努力はなんだったんだ……と肩を落としかけるが、しかし、あの試行錯誤があったからこそ「世界認識の最適化」などという現象に遭遇して、言うなれば俺の【情報閲覧】技能が強化された。
そう考えると、俺の気持ちは幾分回復した。
ただ【情報閲覧】は自分自身にしか使用できない、ある種の超高度な内観能力だと思い込んでいたのは事実だった。改めて迷宮核の知識に意識を潜らせて、この辺りの関連情報を漁ったところ、迷宮領主の能力について、新しい発見があった。
迷宮領主によって生み出される生命体を『眷属』と呼ぶ。
迷宮ごとに、より正確にはその権能を表す【〇〇使い】の称号ごとにルールは様々だが――根底のルールとして、眷属は迷宮領主に服属してその干渉の対象となる。つまり、【情報閲覧】は普通に通るし、そのステータスは創造者である迷宮領主からは見放題である、とのことだった。
迷宮が神々の大戦レベルの防衛拠点であることを考えれば、それだけの大権を与えられていてもおかしくはないのかもしれない。
さらに、全ての迷宮に共通するルールとして、眷属や「施設」は、必ず魔素と命素から生み出すことができる、というものがあった。
故に俺の【情報閲覧】技能が"最適化"されて、眷属に対して発動した際の項目群に「コスト」が表示されるようになったのは、むしろ、今後を考えれば色々とかなりやりやすくなった……とすら言えるだろう。
そう思うことで、やや萎えかけていた俺の気持ちは完全に回復した。
俺は【情報閲覧】を自分自身と、目の前に一つ、新たに生み出しておいた幼蟲卵に発動させた。
そして改めて、保有の数値に注意を向けながら、魔素と命素を注ぎ込み始めた。
――単に数値だけ、孵化に必要な分を注ぎ込めばいいんだろと、ありったけの魔素と命素を短時間で勢いよく注ぎこみ、あえなく破裂させたのが前回のこと。
魔素30単位と命素10単位を、今度は1時間かけてラルヴァ=エッグに注ぎ込んでいった。
1分、2分、3分。
5分、10分、15分。
30分を過ぎた辺りで、表面を蠢かせ血管を波打たせていた卵に顕著な変化が現れた。
徐々に、内部の体液が透けたものである薄膜の黄色みが、薄まってきていた。それと共に、薄膜の向こう側で、黒ずんだ塊が少しずつ一定の形に"固まって"いくのが観察できた。
この段階になると、単に表面を波打たせていた状態とは打って変わって、明らかに卵の内部で何か生き物が動いているのがわかった。
それは時を経るごとに、肉々しくも生々しい、揺れと震えの大きな蠕動となっていった。
そうして、きっかり1時間。魔素30、命素10。
ラルヴァ=エッグの特徴の一つでもあった黄色みは今やすっかり消え失せ、薄膜の向こう側で、黒い太い節足動物のような生き物が、もぞもぞともがいている様がはっきり見えた。
俺は不思議な達成感に包まれていた。
卵から孵る雛を見守る親鳥とは、ひょっとしたらこのような心持ちなのかもしれない。
などと考えると、諦めるなお前もう少しだ頑張って頑張るんだ、俺だってこの寒い中――などと暑苦しくも高揚感たっぷりに語りかけたい気持ちが湧いてきたが、さすがにそれは我慢しておいた。
――そして。
買ったばかりの鶏肉を何枚か並べて、同時にその生皮を引っ剥がすかのような、みちみちと肉々しく、しかしどこか爽快さを秘めた音とともに、薄膜がその内側に潜む生命体により勢いよく食い破られていった。
果たして内側から這い出てきたのは、人間の赤ん坊ぐらいの大きさはある、黒く巨大な芋虫であった。
「でかいな……」
思わず俺はそう漏らした。
明らかに"卵"よりも、這い出てきた芋虫――幼蟲は一回りほどでかかったからだ。
窮屈そうに卵の中に押し込まれていたのが、出てくると同時に弾けて膨らんだかと思うような、ちょっと予想外のサイズ感だった。
若干気圧されたが、しかし色々とこみ上げてくる感慨はひとしおだ。俺は改めて幼蟲という、迷宮領主としての俺の初めての眷属をまじまじと観察した。
黒く肉質感のあるフォルムは寸胴に収縮しており、力を加えて圧迫すれば、ぐちゃりと潰れてしまうだろう。しかし、無防備な存在というわけではなかった。
ラルヴァの背中の、特に黒く硬く覆われた箇所を俺は指で触れてみた。
これは、もしこいつが本当に「虫」ならばいわゆるキチン質というやつで、カニやザリガニ、その他の昆虫の外骨格を形成する物質に近いものと思われた。
全体的なフォルムは"芋虫"と喩えることができたが、一口に芋虫と言っても色々な種類がある。より具体的に言うなら俗に「青虫」、つまり蝶の幼虫が一番近い、と俺は感じた。
十二対の、筋肉のみで形成されたゴムのような肢。
寸胴な身体を前後に収縮させ、胴体よりも二周りは太くて大きい楕円形の頭部を、重そうに押しながら、もそもそと歩き始めるラルヴァ。
様子を見守っていると、そいつは自分が食い破って出てきた卵の周囲を徘徊し始め、やがてその残骸を、もしゃもしゃと食い始めるのだった。
食い終わるまで、きっかり2分半……何を数えているんだ俺は、と自分に突っ込んだ、その瞬間のことだった。
――技能位階の上昇を検知。技能【体内時計】を[4]に上昇――
――新たな技能の習得条件を満たしました――
再び脳内に唐突に鳴り響く、迷宮核が発生源と思しき、人の肉声にも聞こえるシステム音。驚いて俺は周囲を見回し、身体改造をまたされたわけではない――ということに気づいて、改めて安堵するのだった。
【体内時計】がレベルアップしたらしいが、そのことの確認は後回しだ。
システム音に若干水を差されたが、今俺はようやく、苦労を重ね、技能【幼蟲の創生】を完遂した。
目の前の現実を超克するが如き、その超常の現象を、今ここに、否応なしに己自身の五感で確かめたのだ。
そう思った瞬間、強烈な実感が波となって襲ってきた。
俺は今確かに、異世界に、いる。
元の世界で死にかけていたこの俺が、歴史も法則も、世界の仕組みさえもが根底から異なる、全く"別の世界"に、いる。
全てが夢でも明晰夢でもドッキリでもなく、現実に今俺を取り巻く事態であるという理解が、今ようやく確かな確信として、心に深く根付いたのだった。
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