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0007 孤島の探索(2)
踏み込んだ「樹冠の層」は、俺の想像を越えた"緑の回廊"を形成していた。
1本1本の「枝」が上下縦横に曲がりくねっており、しかもとても長い。その理由は明らかだった。
他の枝と絡み合う過程で細胞レベルで癒合してしまったからだろう、と俺は考えた。
アサガオは節操なく付近の物体に蔓を伸ばすため、育てる時には支えとなる棒を差すものであるが、もしそれが無かった場合、アサガオ同士だけだった場合はどうなるか。
後から芽吹いたアサガオは、先達の蔓に己の蔓を絡み合わせて、強靭さを補おうとするのである。
あるいは「夫婦スギ」であるとか「夫婦カエデ」のような、2本の木が徐々に互いの根を地中で絡み合わせ、何十年かけて引き寄せあって幹まで合流するような現象が、元の世界にあることを知っていたが――【闇世】ではそれが、樹冠の枝々によって遥かに広範に行われていたのだった。
枝は隣り合う木を越えて絡み合い、上へ上へ、横へ横へ横へ張り出していたのだった。そのようにして絡み合う、人間の胴体ほどもある太い枝々が、一つの巨大な投網か、あるいは編みかごのような空間を形成していた。
そして様々な角度から小枝を伸ばして、緑葉を生い茂らせていた。しかし、光を求める葉とは異なり、少し伸びた若い枝は――むしろ他の若枝と結びつこうと、そちらに向かって伸びているようにも見えた。
結果として生まれたのが、この枝と葉による巨大なトンネル状の層域ということだろう。
難所を的確に見分けて先行するベータと、俺の体勢を支えることに注力するアルファの連携に助けられながら、俺は技能【精密計測】と【情報閲覧】の合せ技による、丘の周囲の地形把握を進めていった。
今回の探索の目的は、おおよその周囲の地形の把握と、動植物の調査。そして"水場"の発見であったため、マッピングはぐるりと丘の周囲を簡単に済ませた際に切り上げた。
その中から、最も地上へのルートで負担が少なそうな箇所を選んだ。木の幹を伝い、曲がりくねりながらも地面に向かって伸びていた枝をいくつか経由して、俺達は地上まで降りていった。
「樹冠回廊」と命名した、あの緑と枝の網目状のトンネル部分と打ってかわり、地上はまだこの昼間だというのに薄暗かった。陽射しがほとんど全て樹冠回廊の緑葉達に奪われているためか、わずかな木漏れ日を求める雑草や草花がまばらに生えるのみであり、緑は少ないように見えた。
しかし、低木が無いわけではなく、最近芽吹いて枯死しかけているような丈の高いものもあった。
遥か彼方の頭上に存在するほど遠くなった樹冠回廊を俺は見上げた。
さすがに、地上まで降りてきてしまえば高層ビルの天井ほども高くにあるそれらは、大げさに言えば夜空の星々ほども遠かった。薄暗いことと、漆黒の太陽の陽射しがどうも魔人種の目には"優しい"ことと相まって、ゆらゆらと揺れる木漏れ日は仄かな星空のようにも見えるのだった。
「一応、落葉樹なんだなこいつらは……」
地面に目をやれば、膨大な落ち葉が分解されたものが腐った土くれ、腐葉土となっており、その間を這い回る虫のような小さな生命の気配があった。
その豊かであろう土壌とわずかな木漏れ日によって、緑そのものは少なくとも、樹冠の上で予想していたよりは、ずっと低木や藪の類は多かった。あの樹冠回廊の緑葉が一斉に落葉する時期があるからこそ、その時に葉を生やして成長するために、こうした低木達は今は休眠状態にあるのだろう。
俺はアルファとベータを伴い、そんな異界の森を歩いていった。
2体は時に俺の左右へ、時に前後へ上下へ陣取って、全方位をくまなく警戒していた。
道はけして平坦ではなく、起伏に富んでいた。
巨大樹であることから半ば予想されたことだったが、太い根が触手のように地面から盛り上がって這い出していたのだ。
また、幹の中途半端な位置から伸びたために樹冠まで到達せず――つまり他の枝と出会って絡みつくことができず、自重で地面に向かって垂れ落ち、ほとんど根と同じように地面を這う"枝"も少なくなかった。
地面と木々の高さとの間には、見た目以上の3次元的でアスレチックな広がりが形成されていた。
さながら、森の最上部が「樹冠回廊」ならば、この地表部は「根と枝の回廊」といったところか。
乗り越えたり、迂回路を探す際に左右だけではなく上下にも意識を配らなければならなかった。意外なところで、思わぬ角度から枝が垂れていたり根が盛り上がっていて、足場として使えることが、探索中に何度もあったのだった。
「パルクールでも習えばよかったかな?」
アルファとベータの助けありとはいえ、この凄まじい悪路を踏破できている俺自身に驚く。
この魔人族の強靭な体力は、どうも【異形】という生体器官の存在と合わせて、【闇世】の厳しい自然環境が形成された理由と密接に関係があるようだった。
元々シースーアは諸神と呼ばれる神々が協力して、様々な自然法則を作り上げたものだったが、その彼らが二派に分かれて争った。そして【黒き神】の一派が、自らを信奉する者達の避難所として、半ば強引に世界を分けて【闇世】を形成した。
つまり、対立する側の諸神の協力が得られないため、自身に従う一派の力と権能のみで【人世】と同じ環境を再現せねばならず――強引に再現した結果、このような厳しい、時に極端で偏った自然環境になった、ということだった。
太陽が黒かったり海が赤かったりすることの理由は、そういうことなのだろう、と俺は納得した。
付き従って【闇世】に避難したとはいえ、元は【人世】の自然環境に慣れ親しんでいたであろう"ルフェアの血裔"達には、せめてもの強靭なる肉体と、厳しい環境で適応していくための【異形】という種族的特徴が与えられた――とのことだった。
だから、俺もまた自分の身長程度の段差ならば、大した苦もなく乗り越えることはできていた。
丘の頂の周囲だけでも、随分と生命の気配があふれていた。得体のしれない生物の鳴き声が聞こえたり、鳥だか何かが飛び立つ風音が響いてきたりしていた。
また「樹冠回廊」をマッピングしていた時、全体が崩落せずとも、ごく一部だけ、自重に耐えかねた「枝の塊」が周囲を巻き込んで崩落したとしか思えない大穴がいくつも見つかった。
そこには、単なる木漏れ日ではなく、例外的に多量の陽射しが差し込む。ちょっとした日光浴スポットのようなもので――目的である動植物の調査には有用だろうと思って、周囲の探索ルートに、その「落下地点」を組み込んでいたわけであった。
"大穴"の地上部までやってくると、巨大な枝の塊は周囲の若い木などを圧潰するようになぎ倒しつつ、「木漏れ日の群生地」を形成していた。
そこではざっと見ても十数種類もの草花、低木、蔓に雑草、キノコの類が熾烈な生存競争を繰り広げているようだった。すぐ周囲の、鬱蒼と光の届かない空間では、同種と思われる低木や苗なんかが押し黙って休眠している様子とは全く異なり、森には動と静が混在していた。
きっと樹冠回廊全体が落葉してきた時には、この生存競争が森全体で繰り広げられてきたのだろう。
その中で俺は試しに、目につく植物や虫のような啓蟄の類に【情報閲覧】を発動させてみたが――何も表示されることはなかったのだった。
「やっぱり迷宮関係のものじゃないと駄目ってことか?」
さすがに、そこまで【情報閲覧】に頼ることは望みすぎであっただろうか、と俺は苦笑した。
迷宮領主がその全能性を与えられているのは、あくまでも己の迷宮に対してのみである、ということか。ただし「地形把握」という例外があったことから、必ずしも迷宮領域内のみに限られる技でもないという予感はあったが――。
そんなことも考えながら、最後の群生地での検分を俺は終えた。そして、一度樹冠回廊まで引き返そうかと思っていたところ、興奮した様子のアルファとベータが駆け寄ってきたのだった。
俺は探索の中で、走狗蟲の2体には周囲の警戒と合わせて「獣道」の発見を命じており――時折、ベータがアルファと目配せと鳴き声で連携しあってどちらかがすっと脇道に離れていくこともしばしばだった。
2体のこの様子は、まさにその成果であるに違いないことが直感的にわかって、俺は興奮した声で問いかけた。
「見つけたか! "獣道"だな?」
尻尾を犬のように揺すり、肯定と思われる反応を示すベータ。
さらに、何かを訴えようとするかのように、アルファが十字顎をギシャァギシャアと開けたり閉じたりして、首を上下に振っていた。
「それ以上の成果か、もしかして"水"か"食料"があったか?」
言うや、アルファがこっちについてこいと言わんばかりに踵を返して、先導を開始した。俺とベータはそれに続いて、すぐに、盛り上がった根とその陰に茂った藪を越えた先の"獣道"に気づいた。
"獣道"とは一般的に、大小様々な動物がそこを何度も通ることによって、草花や雑草が踏み散らされて障害が除去され、また道もある程度平坦化して形成される天然のルートだ。
動物達がなぜそんな同じ場所を何度も通るかというと、それは当然、水や食料となる植物類を求めて、である。
"水場"を探すにあたり、小川や湧き水の類を見つけるのと合わせて、それがこの森全体の地形や生態系を把握する上で重要な目印だと俺は考えていたのだった。
「かじられているな……」
"獣道"に入ってすぐに、俺でもわかる動物の痕跡がそこにはあった。
巨大樹の根が激しく齧られたように削れており、俺の身長ほどもの範囲が抉れ、植物質のばらけた繊維が露わになっていたからだ。そこから樹液のようなものがまだ滴っていたため、新しい「齧り跡」であることがわかる。
さらに周囲には、古い齧られ跡も連なっていることから、そこが「根を齧る生物」にとっての食事処であろうことがわかった。
かなり広い範囲で根が齧られており、つまり障害物が少ない比較的平坦な空間ができており、そこを基点に"獣道"は森の奥まで続いているようだった。
――その向こう側からは、微かな水の流れ落ちる音の気配と、そして熟れたような果実のにおいがほんのりと風に乗り、俺とアルファ、ベータの鼻腔をくすぐっていたのだった。
***
獣道を分け入り、何かの生物の足跡をたどること数時間。
探索を開始したのが朝で、マッピングを終える頃には正午近くになっていたため、今は日がやや傾いた時分であった。
水流音を頼りに小さな小さな小川を見つけ、それを辿りながら、俺達は森の奥にひっそりと佇むように存在していた"泉"にまでたどり着いたのであった。
大海原と同じワインレッド色の水面を、流れ込む小川の水によってゆらゆらと揺らめかせながら、表面に数種類の浮草を湛える泉は、ちょっとしたプールほどの広さであったか。
そして、ちょうど俺達から見て泉の対岸の方。
泉の縁を取り囲むように群生するシダのような植物があり、その中に青い果実がいくつも生っているのが見えた。
水と食料、同時に見つけたのは幸先がいいな、と俺は心の中で考えた。
――声に出さなかったのは、そこには俺達以外にも先客がいたからだった。
アルファとベータもまた、息と気配をじっと殺して、心臓さえも止まったかと思うような彫像と化し、しかし眼光はその「先客」に油断なく注いでいた。
その生き物は、盛り上がった巨樹の根の一つによりかかり、目を閉じて眠っているように見えた。伏せて眠っている体高だけで俺の身長ほどもあるため、立ち上がったら3~4mはあるだろう。
大きな頭に、狐のような三角形の耳を、時折片方ずつぱたぱた上げており、その全てが毛むくじゃらの長い体毛に覆われている。
下顎から上向きに突き出した4本の牙は鋭く、貫禄に満ちた大型の獣である。
――だが、何と言っても特徴的なのはその異様に長い鼻だった。
俺が知る長鼻の生き物は元の世界の"象"だが、それと比べても、体の大きさに対する鼻の長さは異様だった。象の1.5倍は長く、自分自身の首の周りを一周できそうなほどであった。
その鼻で、実に数十秒もかけてゆっくり呼吸しており、風船のように体が膨らんだり縮んだりしていた。
まるで象と猪を足したような生物、ゾウイノシシと言ったところか。
……いや、和名と英名を合わせて――『亥象』というのはどうだろうか?
眷属以外で初めて目にした、大型の生物ということで興奮していたということもあっただろう。齧られた根の獣道を見て、鋭い牙を持った大型獣への警戒心もあっただろう。
俺は思わず、そんなことを考えた。
すると、聞き慣れたシステム通知音が脳内に響き渡った。
――世界認識の最適化を検知。対象を『亥象』と呼称――
それを聞き取るや、もしやと考えて【情報閲覧】を亥象に対して発動した。
すると「ステータス画面」はやはり他の生物と同じく表示はされなかったが、小さなウィンドウで『亥象』と、名前だけ表示されたのだった。
これは、探索中の他の動植物に対しては起きなかった現象だった。
違いは……"名付け"るという行為、より正確に言えば「俺がそうであるという認識を持つこと」だろうか。「蟲?」が「エイリアン」に変わったことといい、俺自身の主観が技能そのものの効果に対して与える影響が大きいことがうかがえた。
名前だけであるが、しかし名前を定義できるだけでも、今後の動植物の区別や把握には役立つ、ささやかな機能だとは思われるのだった。
しかし今は、そのことを考察するよりも優先すべきことがある、と俺は意識をボアファントに戻した。
巨獣の周囲には、泉を囲むシダ低木から引き倒されたと思しき枝と、青い果実が散乱していた。どうやら【闇世】の生物にとって、少なくとも食べて平気な果実であるらしかった。
どう対処すべきか、思案を重ねてアルファとベータに目をやった。
アルファが俺にだけ聞こえる程度、微かに喉を鳴らして十字顎をひくひくさせた。
命令すれば――命知らずな襲撃を敢行してくれることだろう。眷属とはそういうものだと知識で知っていたし、またこの半日の探索行でのアルファとベータの献身から、2体がそうするだろうことは確信できた。
だが、ウサギや犬を相手にするのとはわけが違った。
あの長い鼻も、4本の鋭く長い牙も脅威としては十分であった。亥象は、いくら獰猛なこの2体であっても、無傷で相手をするには分が悪く、また何よりアルファとベータが傷つけば、俺は鍾乳洞窟まで帰ることが困難になってしまう。
今の俺にはまだ、樹冠回廊と洞窟内のあちこちにある悪路難所を踏破するためには、彼らの助けがどうしても必要だった。再び【幼蟲の創生】で一から生み出すには、何が起きるかわからない森の中では危険であった。
ひとまず「場所」がわかっただけでも成果として、一度引き返すか。それとも多少のリスクと引き換えに、こっそりとあの"青い果実"を回収して立ち去るか。
俺は判断を迫られた。
俊敏なアルファとベータならば、あの長い鼻から逃れて樹上へ退避することも可能ではあろう。
ただ、それによって騒ぎを引き起こして、また別の野獣を招いてしまう可能性を俺は警戒した――というのも、道中の獣道で見かけた「齧られた根」であったが、削り取るような齧り方であり、ボアファントの長く鋭い牙ではそのような痕はつかないのではないか、と考えたからだ。
つまり、亥象とは別の野獣が、最低でもこの付近を生息地にしている可能性が高かった。
と、そこまで考えた時、俺はエイリアン達とも、ボアファントとも異なる気配の存在に気づいた。
だがそれは、獣の気配とは少し異なっていた。
指先がひりひりするかのような感覚。
――ちょうど技能【魔素操作】によって、散々魔素と命素を操り、調整し、何度も幼蟲を破裂させた中で体が覚えてしまった、血管と神経がぞわぞわするかのような感覚だった。
――魔素の流れがどこかで生まれたのだった。
警戒して、アルファとベータに沈黙を命じて事態を見守る。
すると、眠りこけているはずのボアファントの様子に変化があった。
長い鼻をしきりに泉の方に向けて、何かを嗅ぎ回るかのようにひくひくと動かしていたのだ。そしてその鼻先に、目を凝らして見れば、薄力粉をぶちまけたかのような薄靄状の何かが、しつこくまとわりついていたのだった。
そしてその薄靄は、ボアファントの鼻息によって吹き散らされるたびに、まるで目に見えないいたずら好きな妖精によって団扇であおがれているかの如く、どこかから発生する魔素の流れと共に元の位置へ、ボアファントの鼻先にまとわりつく位置へ吹き戻されていたのだった。
魔法、という言葉が直感的に脳裏をよぎる。
ボアファントが一瞬だけ目を開けるも、すぐに寝ぼけたかのように、また目を閉じた。ただし眠り自体は浅くなったのか、もぞもぞと四肢を動かし、ごろりと寝返って、首も反対側に向け身を預けていた巨樹の根に顔を向ける。
その動きに引き寄せられて、長い鼻もまた明後日の方向へと向いてしまう――薄靄がその動きにぱっと散らされた、その時のことだった。
突如の風切り音。
同時に何か細長いものが果樹の合間を縫って飛来し、ボアファントの太腿に突き刺さった。
鮮血が舞う。
跳ね起きたボアファントが激痛に鼻を震わせながら、カっと目を見開いて、重低音の管楽器のような咆哮を鼻の奥から野太く鳴らした。
しかし次の瞬間には、それを打ち消すかのような蛮族の如き猿叫が森の奥から響き、浅黒い人型の生物がわらわらと飛び出してきたのであった。
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