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「ああっ! ちょっと動かないでっ!」
歩道橋の柵に手を掛けた時、大きな声がかかって思わず足を止めた。
ビジネススーツを着た女の人が腰を屈め、目を皿のようにして地面を見つめている。
「コンタクト落としちゃって」
女の人は弱り切ったように言った。
「た、大変ですね」
私も、レンズを踏まないように慎重に足を動かす。
やがて、
「あった! 良かったー。どうもありがとう!」
女の人は無事コンタクトレンズを見つけて歩いて行った。
大して役に立ってないのにお礼言われちゃった。
颯爽とした後ろ姿。
一本に結わえた黒髪が揺れてる。
あれ?
あの女の人、どこかで──。
もしかして、あのとき救急車を呼んでくれた人?
慌てて後を追ったが見失ってしまった。
この辺、通勤ルートなのかな?
明日もこの時間に来たら会えるかしら。
そういえば。
あの人、何で事故現場にいたんだろう。
ビジネススーツなんて、山に入るには似つかわしくない格好だ。
そこまで考えて虚無感に襲われた。
どうだっていいじゃない。
これから死のうとしてるのに。
コンタクトレンズなんてどうでもいい。
そんなの無視して飛び込めばよかった。
なのに、一緒になって探し物したり人の後を追いかけたり。
もう死のうって決めたのに、どうして生きようとしちゃうんだろう──。
左手の薬指がふいに熱をもった。
シュンちゃんからの贈り物。
小さなダイヤが埋め込まれた指環だ。
──それで良いんだよ。
シュンちゃんが、笑ってるような気がした。
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