青海波の声

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 奇しくも一周忌にそのトートバッグは届いた。  かつて着物の帯だったそのバッグを指でなぞる。ざらりとした帯の手触りとともに、防虫香のにおいが鼻孔をくすぐった。青海波――重なり続ける波の模様は、おばあの一張羅だった。  両親を早くに亡くし、親代わりに俺を育ててくれたおばあは、なにも持たない人だった。いつも節約ばかりして物を欲しがらない。慎ましく生きることだけを大切にしているような人間だった。せっせと金を貯め、俺の大学費用をぽんと出したと思ったら、五年もしないうちに亡くなった。  大学費用なんかいらなかった。それよりも、亡くなる前にせめてひと声かけてほしかった。手紙のひとつでも残してほしかった。恩返しをする時間を作ってほしかった。手間のかからない遺品整理のなか、唯一この着物だけがおばあの大切にしていたものだった。  俺は着物が着られないし、このままじゃ箪笥の肥やしになるのが目に見えている。それならと、普段使いできるバッグにリメイクをしてもらったのだ。  入学式、授業参観、卒業式。そして、また入学式。  人生の節目にはいつも、おばあの着物姿があった。  ……せっかくだから、このバッグを持って仏壇に供えるものでも買いに行こうか。  近所のスーパーへと車を走らせる。おばあとは、よく一緒に買い物に行った。  店に入ると、おばあの好きそうな蜜柑が並んでいる。おばあは不愛想な顔をしていたけれど、実は果物が好きだ。そのギャップが、なんだかおちゃめなんだよな。  蜜柑をカゴに入れようとしたとき、おばあの声が聞こえた。 「そんなに食べきれるのかい?」 「食べきれなかったらもったいないでしょうに」  ――たしかにもう、ひとりだけどさ。    おばあは買う物にうるさかった。必要ないものを買って、腐らせることを極端に嫌う。  今ならわかるが、あれは俺の学費を用意するための節約でもあった。  手に持った青海波の模様が揺れる。  おばあがもし、隣にいたなら。 「果物は腐っても困るから、仏壇に供えるなら羊羹にしな」  ――羊羹って、俺の好物じゃん。 「それなら、健介が食べられるから間違いないだろう」    ふと、おばあが青海波の模様について話してくれたことを思い出した。   「この帯には意味があるんだ。青海波の模様は広大な海と波。穏便で、幸せな暮らしへの願いが込められた模様なんだよ」  おばあの一張羅は、いつだって俺のことを考えてくれていた着物だったんだ。    ――羊羹なら、隣町の和菓子屋のが安い。そっちで買うことにするよ。  青海波の波は、きっと穏やかでやさしい。  おばあの残してくれていた想いが、今この手にある。
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