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2.星海
静寂に包まれた少し広めの空間に、投影機の駆動音だけが低く響き渡っていた。丸い天井には人工の星の海が広がっている。偽物だと解っていながら、実際に目にすると想像以上に迫力満点で、背凭れに寄りかかりながら思わず息を漏らしてしまう。
「……綺麗だねぇ」
そんな幻想的な景色に酔いしれるように、隣の恵美は呟いた。
「これを殆ど貸し切りで見れちゃうなんて、贅沢だね」
「ああ、そうだね」
答えながら、俺は辺りを見回す。他の座席はがら空きだった。人類滅亡まで間もない中で郊外の山頂に遊びに行く余裕など無いのだろう。
ふとナレーターの声が聞こえてくる。夏の大三角の解説をし始めて、そういえば元々そういう演目だったっけ、とチケットの内容を思い出した。
「ねえ、仁。知ってる?」
不意に身体を寄せ付けて、恵美が問いかけてくる。シャンプーの柔らかい匂いが漂ってきて、思わずどきりとする。
「ギリシャ神話とかだと、神様に気に入られた人は星座になってずっと宇宙に残してもらえるんだって。何だかロマンチックじゃない?」
「ロマンチック、かな?」
「そうだよ。戦死した恋人を星座にしてほしいって頼み込んだり、潔白な絆とか勇敢さとかを認められて星座になったり。神様に認められて後世まで語り継がれる存在になれるって、何か良くない?」
神様に認められることが凄いとは思えないけど、一つ一つのエピソードの魅力に関しては理解できる気がした。
「ギリシャ神話の恋愛って殆どがドロドロしてるけど、中にはキュンとするのも多くてさ。好きなんだよね、そういう話」
「そっか……そうだよね」
記憶の奥底から、小学校時代の情景が俄かに蘇ってくる。塾からの帰路、満面の星空に目を輝かせながら幼い恵美が指を差すのだ。あれが夏の大三角形で、あれが天の川。嬉々として語るその声が、今でも鮮明に思い出せる。
「恵美、昔から詳しかったもんね。天体とか星座とか」
「うん。だってワクワクしない? 私達が見えないところで、果てしない世界が広がってるんだよ? それこそ浪漫じゃない?」
裏でナレーターの無感情な声が白鳥座やらデネブやらの解説をしている。が、それをかき消してしまうぐらい、恵美の声音は生き生きとしていた。まるで互いに子供時代に還ったかのようで、興奮気味に話す彼女に耳を傾けるだけで途轍もなく楽しかった。
やがて、語りたいことを全て語り終えたのか、余韻に浸るように恵美は嘆息する。
「いいなあ」
次いで口から出たその言葉は、身震いするほど冷め切っていた。
「私も、星座になりたいな」
「星座に?」
「そう。さっき言ったでしょう? 死ぬ時は、一人で死にたくないって。でも、もし一人で死ぬことになっても、星座になって死後もみんなに覚えていてもらえるんだったら、寂しくないかなって」
その言葉が冗談なのか本心なのか、俺には判断できなかった。
売店の時みたいに、縁起の悪いことを言って俺を困らせているのかと思った。だけど、それが冗談だとしても何故か違和感を覚えてしまう。昔の恵美は、こんなことを言う人だったっけ。漠然とした願望に縋るような、そんな不安定な人間だっただろうか。
それこそ幼少期の時は、確固たる夢を掲げて奮闘するような人だったような。
気づけば遠退いていたナレーターの声が、徐々に明瞭に聞き取れるようになる。解説の内容は琴座の青白い一等星ベガ。どうやら日本では織姫星と呼ばれているらしい。
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