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3.夜闇
「いやあ、満足満足」
鞄を大きく振りながら、恵美は元気よく前を歩く。公演が終わり、建物を出た先では夜闇が広がっていた。外灯があってもなお心許ない舗装された山道を、俺達はゆっくり下っていく。無常にも、今日も一日が終わってしまう。
「今日はありがとうね。すっごく楽しかった。子供の頃に戻ったみたい」
「おう、それなら良かった」
胸の内の靄を隠し切れず、つい曖昧な返事をしてしまう。当然、幼馴染である恵美に見抜けない筈がなく、すぐ怪訝そうな目を向けられる。
「さては仁。途中から寝てたな?」
「は? いや、寝てないって」
「道理で最後の方静かだなあって思ってたんだよ。全くもう、私の横で寝るなんて良い度胸してるなぁ?」
「いや誤解だって! ちゃんと最後まで観てたし、内容だって覚えてるから!」
半分本当で、半分嘘だった。
実際、最後まで寝ずに観賞した。というより、最近は授業中でも何故か気が落ち着かなくて居眠りができなかった。夜ですら、まともに睡眠が取れてない。
だから居眠りはしなかった。けど、内容も殆ど聞き取れなかった。考え事に夢中で、それどころじゃなかったのだ。
「……まあ、良いんだけどね。会話には乗ってくれたし、今日一緒に来てくれたこと自体に意味があるから」
急に恵美が立ち止まり、こちらに振り返ってくる。
その表情は、泣き笑いに近かった。
「ありがとう、仁。今日のことは、絶対に忘れない」
胸がきゅっと圧縮されて、思わず咳き込みそうになる。
瞬間、脳内を取り巻いていた憂鬱の数々が高速で旋回して、この身体を強引に動かそうと躍起になり始める。思えば、あの違和感からだった。本来と違う恵美の表情に動揺して、居ても立っても居られなくなって、公演に集中できなかった。
俺は、恵美のことが好きだ。
だけど、心から笑えていない彼女のことは嫌いだ。アイツはこうと決めたら否が応でも動かない。自分の本心を心の底に隠そうと考えたら、誰かが止めない限り変わらない。感情が顔に出てることすら気付いていないくせに。
ひょっとすると、今日の言葉の数々もアイツなりのSOSなのかもしれない。縁起の悪いあの一言も、やたらと死を連想させる言葉を多用していたのも、全部俺に救済を求めるためだとしたら。
本当に相変わらずだ。
行動力がある代わりに、途轍もなく不器用で。
「あのさ、恵美」
暗闇の向こうへ去って行ってしまいそうなその腕を、辛うじて掴み取る。
すると恵美は真ん丸に目を見開き、こちらに振り返る。
「最後に一つ、寄りたい場所があるんだ。付き合ってもらってもいい?」
最後まで、その顔から驚愕の色を絶やすことはなかった。
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