2人が本棚に入れています
本棚に追加
4.約束
目的地は、山の上の広い草原だった。
風に乗って、さらさらと草野が揺れている。どこからか、細やかな虫の音が聞こえてくる。麓には煌々と瞬く町の風景が広がっており、点々とした小さな光が右往左往していた。
その景色を、空を、恵美は黙って見続けている。
まるで無垢だったあの頃の記憶を、噛みしめるかのように。
「懐かしいよね」
立ち尽くす恵美の隣で、僕はそう言った。
「昔、よく近所の公園で集まって一緒に星を見てたこと、覚えてる? 望遠鏡を覗いたり、野原の上に寝っ転がったりして。そこで恵美が最近読んだ天体の本のこと話してくれて」
恵美は、何も答えなかった。
プラネタリウムからの帰路の道中、俺はそこから一番近い野原に行こうと思い至った。流石に茂みの中に入るのは憚られたが、行きの道中で見かけた小さな公園、あそこだったら最適だろう、と。
本当は星が見たかったけど、この曇天だと恐らくそれも叶わない。
ただ、何でもいいから二人で、話す機会が欲しかった。
「俺、実は嘘ついてたんだ」
そう打ち明けると、恵美はようやく俺の顔を見てくれた。
「人類滅亡の話。根拠がないから信じないって言ったけど、本当は信じるのが怖いだけなんだ。むしろ『滅亡』って口にするだけで足が竦んだりしてさ、考えないふりしてたんだ」
口を半開きにしたまま、何も答えない。
「でもさ、恵美の心意気とか聞いてたら、そういうの馬鹿らしくなっちゃったんだ。お前の言う通りだったよ。残された時間は間もないのに、ただ現実逃避して殻に籠るのは勿体ないなって」
無言のまま立ち尽くす幼馴染の目を、俺はじっと見据えた。
何故だろう。話題はかなり重いのに顔がほころんでしまう。
「ありがとう、恵美。お前にはいつも、学ばされてばっかりだ」
そうだ。恵美の行動からはいつも学ばされることが多い。
小学生の時も、今になっても。性格的な面でも、知識的な面でも。
落ちた目線を再び恵美に向ける。そうして、思わずぎょっとしまう。彼女の両目からポロポロとビー玉のような雫が零れ落ちていたからだ。
「違う、違うの。私、そんなに凄い人じゃない」
そう呟いて、両手で目を覆った。ただ、どれだけ目元を抑えたところで、彼女の涙が止まることはなかった。
「私も、ただ強がってるだけ。本当は怖いの。人の力ではどうにも出来ないことが起きて、目の前で沢山の人が死ぬって考えると、怖くて仕方がない」
わっと声を上げ、肩を縮こませた。
「私、まだ死にたくない! だって今、堪らなく楽しいのに。友達がいて、居場所があって、仁がいて。私の大切な物を全部奪われるなんて、そんなの耐えられないよ!」
恵美の小さな背中を、俺はそっと摩った。微かに震え、強張っている。内に秘めた恐怖が直に伝わってくるようで、胸が破裂しそうなほど痛くなる。
「お願い、仁」
しばらく泣き叫び、ようやく落ち着いた声で恵美は言った。
「これから滅亡するその瞬間まで、私の近くにいて」
「……ああ」
断る理由など、一つも無かった。
「絶対だよ? ずっと私の近くにいて。私を、安心させて」
「解ってるよ」
震えた声が喉から出そうになるのを、思い切り呑み込んだ。
「これからもずっと一緒にいよう。絶対に一人で死なせたりしない。昔振り回された分、今度は俺が恵美を振り回す番だ」
一陣の強い風が俺達の合間を通り抜ける。ふと、空へと目を向ける。厚く敷かれた雲の切れ目から、楕円形の月と星々が自分の光を主張している。きっとこのことを口にしたら、月は自分から光らないんだよ、と恵美に叱られそうだ。
最初のコメントを投稿しよう!