152人が本棚に入れています
本棚に追加
/130ページ
初めて席に着いた時は交際相手と少しの喧嘩中だったらしく、話し掛けてもずっと上の空だった。
『――受け取って貰えた』
しかし仲直りを意味する花言葉のブーケを手渡しに行くようしたアドバイスが功を奏してからは、一転して信頼を得た。お相手は名家の子女らしく、それに見合うような立ち居振る舞いを身に付けたいと言う。
仕事柄並よりは人と成りへの洞察力は付いたと思うが、品の良さと言うのは一朝一夕で身に付くものではない。し、彼には十分それが滲み出ていた。
言葉や食べ方、姿勢に目線――何か一つ取って言えるものではないが共通して思うのは、綺麗で、寛容で、怯むところがない。ホステスとして注意し真似たそれ以上のものを、育ちと分かる自然さで身に付けている。
気付いていようといまいと、既に彼らは同じ“向こう側”にいるのだ。
それに比べれば服装やデート場所、レストランやお酒の選び方、誘い方なんて小手先の恋愛術に過ぎない。それでも、喜んで貰えたと屈託なく笑う顔を見れば役立てるのが嬉しく――
……ううん
自分の理想の男を作っていくのが堪らなかった。私の言うままに一人の男性が形作られていく。洗練され、思慮深く、一番に思いやってくれて………教授と嘯き私のしたいデートを叶えていった。その意中の女性より先に――
「志帆さん?」
ハッとして口元を隠した。歪んだ唇の形を。突然愉悦を浮かべた顔を気色悪く思われただろうか。パン、と手を一つ叩いた。良いことを思いついたと誤魔化すように。
「水族館にはもう行かれましたか?――素敵なエスコートができるよう、ご案内します」
人によって、最も気を引く言葉の鍵がある。賞賛、関心、利益……欲求を探り当て精製して嵌めれば、カチリと心の錠が開く音がする。後は軽く押すだけで容易に扉は開いた。
「きっと彼女様も喜ばれるでしょう」
嘘。
中毒的に満たされる虚栄心。眉目秀麗な男性を伴って羨望のスポットライトを浴びる。プロポーズも控えた幸せな女に見えるだろうか。毎夜引き立て役に徹してきた心の澱がどうしようもなく浮遊し渦巻いていた。
女としての嫉妬、見向きもされない反逆、持ち物を壊したくなる衝動、色んな色が入り混じって、醜い暗色になっていく。
誑かしたって微動だにしない
悔しい 悔しい 悔しい…………
あの人も。この人も。
最初のコメントを投稿しよう!