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「ハリセンボンは千本も針がない、数は354――って、これ数えたのか」  立ち止まって水槽横の掲示文を一頻り読んだ後、その作業を想像したのかくつくつと笑う。 「数えてる間に膨れっ面になったら吹き出すよな? というか近づいただけで過剰に威嚇してくるこの感じ、ちょっとに似て――あ、」  可笑しそうに振り返りながら、気まずく目を滑らせ黙り込んだ。チクリ、と痛む自分の胸にはもう気付いている。これは仮想のデートだと、楽しそうにしていても「彼女」のことしか頭にないのだと幾度となく思い知らされる。 「――そういう風にからかわれるのは、余り好まないでしょうね」 「……ハイ」  以降は、時々好奇心に目を取られながらも当初の目的に沿って自分を諌め、同伴者を置いてけぼりにしないよう気を配っていた。  素直で呑み込みが早く、数週間もしないうちにすっかり振る舞いは大人びた。でもふいに気を緩めると子供のように無邪気な一面を覗かせる。それは糺すことでもないように思うが、本人の要望では「完璧な男性として」振る舞いたいということだ。事実「彼女」の態度にも変化が現れているというのが後押ししているようだった。全く接点のない――しかし男性のタイプが共通する“ご令嬢”に、興味を掻き立てられる。   「どういうところが、お好きなのですか?」    時折彼が口を滑らせる人物像からすると、儚くも愛らしい深窓の令嬢というよりは、気位が高く鼻に付く感じの、物語なら悪役として登場しそうな令嬢を想像してしまう。一体何が王子様(、、、)をここまで魅了するのか。   「んー……」と彼が考え込んでから出てきた言葉は、「可愛いところかな……」という曖昧で凡庸なものだった。 「ご容貌が?」 「顔も可愛いけど……一生懸命なところとか、結構健気で、照れたり、我慢したり……でも俺にだけ甘えたりするところ」  言うにつれまた口元が緩んでくる。余り参考にはならなかった。恋をする女性なら誰にでも当てはまりそうで、要は両想いなのだろう。何をやっているんだろうな、とは彼にか自分にか。  私がしていることは結局茶番でしかない。お助け役どころか、彼女にとっては悪役――にも満たない噛ませ役か。いつもそうだ。いつも誰かの人生の端役で……成功したことは何もない。    会話の糸は途切れた。聞き返したりする程の興味はないのだろう。沈黙すら気にせず、紅茶を啜っている。カップを置いて目が合うとフッと微笑んだ。どきりとする。 「あと、紅茶を淹れるのが上手い」 「そうですか……」    笑顔を作る度私の良心が支払われていきとうとう底を付く。    ――志帆さん、あの方には恩もあるし……お店の顔だけは潰さないようにね。この業界で生きていくならあなたの為にも……  卓の下でぎゅっと拳を握る。  律儀にもアドバイスへのお礼にと彼が再来した時、私は金の卵が転がり込んで来た心地だった。若いが気風が良く明らかな良客で、彼ないし彼の紹介に預かれば将来的な成功まで予感させた。だから『親切なお姉さん』の(てい)でお店の外に誘い出したのも、初めは先行投資のようなものだった。同僚のやっかみやママの監視の目が煩かったのもある。  何よりこの『ご子息』との縁を掴めれば、もっとにも関心を持ってもらえる筈――  そんな打算を知る由もなく、彼は差し伸べられた手に些かの疑いも持たなかった。  育ち良い男性にありがちな無垢さで、店の事情にも疎く、何より人からの好意を受け慣れていたのだろう。  初めの目論見やそれに基づく自分の行動が間違っていたとは思わない。強かに生きなければただ古びて剥がれ落ちていくだけ。そういう岐路に立っていた。  ただ  欲しくなってしまった。どうしようもなく。  だから     
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