◆第1章 同居人はラジオパーソナリティー

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「アキ、出れるか?」 「はい。みなさんお先に失礼します」  塩崎はマスク姿でリュックを両手に抱え、周囲に挨拶しながら、ビジネスバッグを持った大介の後ろをついてくる。 「梶田さん、お疲れ様です。アキくんもお疲れ」 「お疲れ様です」  すれ違う人全てが塩崎に声をかける。もちろんチーフディレクターである大介にも声をかけてくるのだが、明らかに塩崎と差がある理由はわかっている。結局のところ、みんな、塩崎のことが好きなのだ。 「あいかわらずモテますなぁ、アキさんは」 「やめてくださいよ。僕じゃなくて、僕の声を気に入ってくださってるだけですから」 「それもお前の一部だろ」  大学生だった塩崎を初めて見た時も「こいつは女子にモテそうだ」と直感で思った。ただ自分から声をかけたりしないところ、あまり誰かと話しているところを見かけないところなど、近寄り難い雰囲気があった。しかしパーソナリティをするようになってから、スタッフにも優しい笑顔を向けてくれる好青年と知られたせいか、声をかけられる回数が圧倒的に増えた。 「お、アキちゃん、今帰り?」 「お疲れ様です。白石さん」 「お疲れ様です」  二人で立ち止まり、深く礼をする。編成を担当している上役である課長の白石ですら、塩崎に声をかけるんだな、と驚いていると、白石は塩崎の前で足を止めた。 「なぁ、考えてくれた? 今年の夏まつりの件」 「はい、考えたんですが、僕はやはり表に出るタイプの人間ではないので」 「なんだ。今年もダメなのか」 「夏まつりって、あの恒例の?」  初耳の話題だったので大介が課長に尋ねる。夏まつりとは毎年夏に実施しているイベントでテレビ局とラジオ局が合同で企画している恒例行事だ。公園にステージを組み、生放送中継があり、かなり大がかりなイベントでもある。 「そうなんだよ。実はさ、毎年、アキちゃんに打診してるんだけど断られてんの。本人がその気になってくれたら、お前に言おうと思ってたんだけど」 「そういうの、まず俺を通してくれません? 必要だと思えば、俺がこいつ説得するんで」  そもそも事務所に所属していない塩崎に仕事を依頼する場合は、番組の担当ディレクターである大介か、ADの市川が調整することが多い。ラジオパーソナリティとしてレギュラー番組以外の登板がある時もたまにあるからだ。しかし、たいていの場合は、塩崎自身が生活のためにやっているカフェのバイトのスケジュールが合わず断ることがほとんどだ。 「まずは本人の意向が大事だと思ってたけど、お前に頼むしかないかー。実は、アキちゃんに夏まつりの会場で生番組やってほしいって声があってさ。毎年、名前が挙がるんだが、今年はスポンサーからリクエストあったみたいで」 「マジですか。アキ、お前売れたなー」 「やめてください」  深夜枠のパーソナリティにイベント出演依頼があるなんて、はっきりいって珍しい。どうやらスポンサーに塩崎ボイスのファンがいるようだ。 「そういうことなら一度、検討させてください。ちゃんと話し合ってみます。課長も本人の意向が大事っておっしゃってくれてる訳ですし?」 「梶田ー、お前が出世できないのは、そういうとこだぞ」  やられたな、と白石は豪快に笑い、その場を去っていった。 「俺、聞いてないんですけど、アキちゃん」
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