半端者

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半端者

「鈴音くんてちっちゃくて可愛いよね」 甘いシャンプーの香りがする。 少し覗き込むようにこちらを見上げたクラスメイトの彼女は、長い髪を耳にかけながら微笑んだ。 教室から夕日が傾く姿をぼんやりと眺めていたから全然気づかなかった。思いの外近くに彼女はいた。 ちょっと良いな、なんて思っていたのに今の言葉でほんの少し嫌いになる。 (心が狭い) だがその理由を考えては苦々しくなってしまうのだ。 「来年くらいにはもっと高くなるよ」 嘘だ。 僕の身長はもうきっとこれ以上伸びることなんてない。 160センチに満たないその体の目線は悲しいかな彼女を少し見上げる高さだ。 鈴音は目を逸らし、机の脇に掛かった鞄に手をかけた。 そろそろ時間だ。 機嫌を損ねた様子を見せる鈴音に、彼女は優しく笑った。 「ちっちゃくても良いのに」 ピクリと蟀谷が浮く。 「……うるさいな」 掠れた言葉は彼女の耳に届かなかったらしい。 鈴音は笑顔という薄い膜を顔に貼り付けた。 「じゃあね」 僕のことなんか何も知らないくせに。 冷たい氷が胃に滑り落ちていく。 そんな感情が体中を満たしていくようで吐き気が込み上げた。 ふと彼女の後ろ、少し離れた黒板前に見慣れた白い人影が目の端に映った。 二メートルはあるかというその身長のてっぺんに乗った顔が苦々しく歪んでいる。 珍しく人型をとった彼の背後で白い尾が右に左に大きく揺れていた。 あっちも今日は機嫌が相当悪いらしい。 そう思うと少しだけ心が軽くなる。 然程あの白猫と仲が良いわけでは無い。しかしお互い共通点が有るというだけで、どこか仲間意識が湧き出てしまう。 彼女の横をすり抜けて鈴音は長い白髪の青年の前に立つ。目だけで合図を送り、廊下の外へ導いた。 「銀、嫌な事あったでしょ?」 「お前も今さっき嫌な事があったじゃろ。見てたぞ。お互い様じゃ」 銀と呼ばれた男の口元の端が少し上向く。 先程の鈴音の様子にねじ曲がった機嫌を5度ほど戻したらしい。 「僕達性格悪いよね」 「半端者同士、仕方がなかろう」 「生きづらいねぇ」 「生きづらいのぅ」 空を見上げれば赤い太陽を隠す様に黒い雲が立ち込めてきた。あっという間に真っ暗になる外は湿気った空気が充満し、冷たい雨粒が窓を叩き始める。 「これは罰かな」 「儂らこんな辛い思いをしたのに、可哀想すぎるじゃろ」 お互いクスクスと笑いながら、学校の屋上へ向かう。 スルリと銀の背中を撫でるとたちまち大きな白猫に姿を変えた。 靴を脱いでビニール袋に仕舞うと、鞄に突っ込む。その背に跨ると、冷たい風が頬を撫でた。 どんどん黒くなる空に銀が飛び込めば、足元には小さな街がみえる。 学校から出てきたラベンダー色の傘を見つけて目を細めた。 あの娘だ。 憎らしいほど傘まで可愛いときている。 「石ころでも落としてやろうか?」 猫に成ったというのに銀の表情筋は豊かに動く。 「馬鹿」 コツンとその硬い頭を叩くが、「あいた!」そう言った銀の声は楽しそうだ。 すっかり機嫌は治ったらしい。 「今日はツイてないや」 「ツイてないのう」 クスクスと笑いをこぼして街を抜ける。 雨の雫は銀の力のお陰で鈴音の体を濡らすことはない。しかしその湿気で体が冷えた。 ふと視界に虹色に濡れた「道」を捉える。 ズルズルと引き摺ったようなソレは、疲れたスーツ姿の男の後ろから延びていた。 丸まった背中にコンビニの白いビニール袋は、知らないこの男の状況を語るようだ。 「どうやらあっちは『ツイ』ちゃったみたいだね」 湧き出た面倒事に鈴音はそっとため息をつく。 雨の日だって、ツイてない日だって、彼らの仕事は今日も始まったばかりだ。
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