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まあ…仕方がないか。
露香は両手でコップを持つとコクコクとお茶を美味しそうに飲んでいる。以前は不気味でしか無かったその姿がとても愛らしく映った。
仮宿となったからかもしれない。
露香の一挙一投足が可愛らしく、その仕草に温度や感情が見え隠れする。そんな露香を手放すなど今は考えられなくなっていた。
「ご安心下さい。あなたには良いことしかないですよ。宿なし童は宿をとても大切にしますから。危険を教え、未来を予知し、幸せを呼ぶんです」
「そうさ。それに露香は井川くんも隣の畑も大家さんも凄く気に入ったようだね。とても幸せそうだ」
しかし慶太は手放せないと思いつつも、こんな降って湧いた幸せを享受できる人間に自分が相応しいとは思えなかった。
頭に張り付いたいつもの言葉が蘇る。
必死に喉を湿らせて「なんで…俺なんか…」と声を絞り出せば、目の前の二人がポカンと口を開けた。
「まあ、優しいからじゃないですか?露香さんが選んだくらいですし」
鈴音の呆れ気味の言葉に被せるように滝田は「そうだよ、井川くんが真面目で優しいからだよ。露香が選んだんだ」と言い募る。
どうも「露香」が「選んだ」ということ自体が答えらしい。慶太には納得できないが。
ツンと袖が引かれた。
真黒に塗りつぶされた様な瞳が慶太を見上げる。
「俺……君の為に何かできてた?」
露香がいる間、怯えて暮した。なにも優しいことなんかしてこなかった。目を合わせないように、重たい足を恨んだ。
今思えば、足が重いのは露香が体を休めろと言っていたのだろう。面接の際にみた映像はあの会社が倒産を見越しての忠告だ。そして隣の大家の危険を知らせてくれたのも彼女だ。
貰ってばかりで、何をしてきたか何も思いつかない。
寧ろ訴えてきた彼女に塩を撒くような男だ。
青い炎が露香を包んだ時、背筋が凍った。
自分なんて無能で無価値の人間なのに。
目を伏せると、空っぽの自分がやけに虚しく感じた。
滝田のような寧ろ暴力的なまでの「優しさ」なんてない。鈴音の様な冷静さもない。
ただ生きているだけの存在なのに。
『そう言ってるの、慶太だけ』
冷たい指先が慶太の唇にそっと触れた。まるで話すなと塞ぐように。
黒い穴のような瞳がじっと見つめ、目玉の奥、慶太の脳を覗き込むように首を少し傾げた。
突然雨だれの様に優しい音が耳の奥で小さく響く。まるで歌のように流れてはまわった。
『慶太が思い込んでるだけ』
『慶太が否定してるだけ』
『慶太が慶太に呪いかけてる』
『慶太が慶太を嫌いなだけ』
『周りは慶太のこと何にも考えてない』
『周りは慶太を本当にいらないなんて思ってない』
『周りは慶太のこと気にしてもない』
『周りは慶太のこと否定してない』
『全部全部慶太の思い込み』
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