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それに……大好きなサキイカは先程全部無くなってしまったようだし。
足元ではくちゃくちゃと咀嚼音が響いている。先日はお喋りだった猫が勝手にキッチンから持ち出して食べているさまを実のところずっと見ていた。
鈴音も今回は止めもしない。寧ろ食べ切ってしまえ、と口にせずとも言っていた。
「あと井川さんは人間ですが、仮宿の間は妖が見えるようになるんです」
確かに声だけでなく、昨日は獣だか人のような妖の手まで見えた。
今度からははっきりと見えるようになるらしい。
「昨日の塩を浄化し、露香さんを受け取ったのはこの辺りの区域の長『狐』です。彼女には露香さんも含めてあなたのことを言っておきま……」
「来てるし」
アパートの影からひょっこりと顔を出したのは、頭の天辺からぴょこんと尖った耳を2つ生やした女性だった。
胸元を大きくはだけさせた着物は藤色で彼女の金茶の尾に良く似合っている。キュンと目尻の上がった大きな目でチラリとこちらを見た。
その様子は疎ましげだ。
面倒事が増えた、と隠す素振りもない。
「どうも。昨日ぶり。今度からはこの可愛い子の仮宿としてちゃんとしてよね」
と言って素っ気なくひらりと手をふる。
思わず手を振り返すと彼女は少し驚いたように目を見開いてからカラリと笑った。
「変なニンゲンね」
表情がコロコロ変わる女性だ。さっぱりとしていて好ましい。
それに……。
庭先で聞こえていた声に彼女はよく似ていた。
きっとずっと気にかけていてくれたのだ。
そう思うと初めてちゃんと会ったというのに既に親近感を覚えてしまっている。
彼女には迷惑かもしれないが。
「そう言えば、井川くん今仕事してないんだよね?うちくる?今営業募集してるよ」
滝田がスマホ画面を見せると、そこにはハローワークの募集が映っていた。
「露香のことも心配だし、うちにおいで。私これでも総務部長してるから」
「えっ」
「人事に口きいとくよ」
「でも……」
「私、君のことずっと気に入っていたんだ。だからこれは『うぃんうぃん』って言うんだろ?」
次々と訪れる幸運に目を白黒させてしまう。が、鈴音がいつもの冷めた声で「幸せを呼ぶって言ったじゃないですか」ボソリと呟くのを聞いて、やっと納得した。
露香は動物が巣を住みやすく整えるように、慶太の周りを少しずつ綺麗にしていく。
「良いのかな?」
「日頃の行いってことで良いでしょ。安心して下さい、いきなり宝くじ当たるような幸運はありませんから」
「そっか」
慶太は視線を落とした。その先には小さな掌を持つ少女がボンヤリと立っている。
「これから宜しくね」
そう言うと少女はぎゅうっと慶太の足に抱きついく。
あのねっとりとした重みはもう感じなかった。
ギラギラと肌を焼く太陽が眩しい。もうすっかり梅雨は明けたようだ。
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