少年と猫

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少年と猫

アパートから離れたスーパーに行くようになった。 あの髪の長い少女と離れることができるから。それだけ理由で。 とはいえスーパーまでの道のりは歩いて20分ほどの距離だ。買い物袋を手に長時間歩くのは辛い。特に最近では3日に1回は発泡酒を1ケース買っているので、あまり遠くには行きたくなかった。 仕事を辞めてから野菜や肉は買わなくなった。自炊する時間ができたというのに、以前より全く包丁を握らなくなった。 かわりに酒のアテにサキイカだの、漬物を買うようになった。あとは値引きされた惣菜。 ガサガサとビニールの乾いた音を響かせながら、日が落ちる道をのたりのたりと歩く。 今日も足は重たい。 はあ……と溜息をついた途端だった。急に空気の密度が濃くなったのを感じる。 耳からざわめきが入ってきた。 「全く情けないことだ」 「本当に。折角代替わりの年代に当たったっていうのに、次代が男とはね」 「守護は銀鈴だしな」 「本当に残念だ。代替わりした後ここもどうなるのか」 「隣の鬼が騒がなきゃいいけど」 「向かいの銀狼もね。あいつ等頭が良いから」 「そうそう。ほら、最近ここらのニンゲンが銀狼の呪いにあたったとかなんとか」 「恐ろしや、恐ろしや。呪いにあたったとなれば、例え愚鈍のニンゲンだって襲ってくるからのう」 「その呪いにあたったニンゲンってのは見ればわかるのかい?」 「それがなんとも。肩だの腕だの重たく感じるとかなんとか。」 「そりゃそこらの悪霊も同じじゃないか」 何の話だ。 慶太は慌てて周りを見渡すが周りに全く人はいない。寂れた商店街に猫が一匹走り抜けただけだ。 でも聞こえる。 そして気になる言葉。 「呪われたニンゲン」 「重たく感じる」 頭には今日もアパートの窓に張り付いた黒髪の少女の姿が浮かんだ。 ザリザリと壁を舐める少女の長い舌、潰れた胡瓜、窓に張り付く手、重くなる足……思い当たる点はいくつもある。 やはり値段が高いなんて言っていられない。 呪い殺されるのはごめんだ。お祓いに行くしかないか。 そう思って足早に歩を進める。なるべくこの訳の分からないざわめきから逃げ出したかった。 視線を上げた先に真っ白い猫が見えた。 少し大きめで毛がフサフサとしている。 じっとこちらを見つめて、口元を歪ませた。 「!」 あの猫……笑った。 耐えられないとばかりに踵を返した瞬間、肩がぶつかる。 ふと小柄な少年がこちらを見ていた。 色素の薄い髪、明るい色の大きな瞳が見上げている。 「お兄さん……駄目ですよ。こんなに塩っぱいのばっかり食べて」 先程の買ったばかりのビニール袋が少年の手の中にある。それを無遠慮に覗き込んで、彼は眉を顰めた。 「な……なに?」 慶太の戸惑いを気にする様子もなく、「まあ、こちらにどうぞ」と、スルリと慶太の手をとり歩きだしはじめる。 すると今度は少年とは逆の方向から手が伸びた。 「サキイカじゃ!美味そうじゃのう」 ビニール袋を掴んだその手の持ち主は真っ白い髪を長く垂らした長身の男だ。着物を着て、背中に赤白の大きな綱が蝶結びになっているのが見えた。 頭のてっぺんには柔らかそうな毛に覆われた耳がピクピクと動いている。 これは……。 流石に慶太にも分かる。コレは人じゃない。 「銀、食べるなよ」 「煩いのう。分かっとるわ。むむ、これは『びいる』とか言う酒じゃな。儂は日本酒一択じゃ」 「呑むなよ」 「呑まんわっ。日本酒一択と言っておるだろうがっ」 「すみません。銀、機嫌が悪くて」 「あ……いや……。あとそれ発泡酒で……」 「お前も機嫌悪いじゃろうが!この金髪オカッパが!」 「金髪じゃないし、オカッパでもないんだけど」 慶太を挟んで喧嘩を始める二人に戸惑いながら、半ば連行されている。 ゾワゾワとした怯えが隠せない。だというのに、何故かホッとしている自分もいた。
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