天使は作家と朝寝がしたい・2

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天使は作家と朝寝がしたい・2

 坂木倫太郎と村瀬清路、二人は恋人同士である。  坂木はバイ、村瀬はゲイだ。二人とも、世間にカミングアウトはしていない。一部の例外を除いて、誰にも知られずに付き合っている。  さらに、坂木は作家で、村瀬はその秘書である。  坂木はベストセラー作家で、新刊はいつも話題になり、注目を浴びる。ドラマ化や映画化された作品も、短編長編あわせて二十本以上あった。純文学作品からSF、ミステリーなどのエンタメ作品まで幅広く書く。作風や文体は硬派だ。しかし――そのためよくファンからは勘違いされるが、村瀬に言わせればその正体は「ゆるキャラ」である。  おっとりしていて、呑気で、お人好し。おまけに、だらしないのだ(と、村瀬が言ったら、坂木は「『だらしない』はゆるキャラに失礼だろう」と答えた)。  ……村瀬の言う「ゆるキャラ」っぷりは、坂木の容姿が見事体現している。  身長は一八八センチと高く、体つきも元々骨太なためかがっしりしているのだが、腹はたるみはじめ、背中もやや猫背だ。いつもぼんやりした眠そうな目に眼鏡をかけ、白髪交じりの髪に無精髭。服装にも気を遣わず、風呂を面倒臭がり、朝寝が好きで、たいそうだらしない。  ただ、村瀬は密かに不思議に思っていることがある。だらしないのに、下品になっていないのはなぜなのだろう、と。  坂木には浮世離れした、おっとりした気品とでも言おうものが身についていて、村瀬にとってはそんなところが不思議と落ち着く。妙に色っぽく見えることもある。徹夜明けのぼさぼさの頭、たるんだ目の下が黒ずんでいるときでさえ、そうなのだ。  坂木は現在、四十六歳である。  一方の村瀬は二十七歳。秘書として坂木の右腕となり、二か月。はや、その有能さで坂木だけでなく、担当編集者や編集長、果ては出版社の社長からも頼りにされている。  村瀬は身長一八〇センチ、強面で凛々しい美丈夫だ。痩せて筋肉質、眉上の短髪で、黒い目が恐ろしいまでにギラギラしている。その殺人的に凄みのある美貌は、まるで伝説のドラゴンを倒し、国中から祝福されてお姫様と結ばれるような、そんな騎士を彷彿とさせる。  そんな村瀬だが、前職は兵庫県警の、捜査一課の刑事だった。犯罪者を潰すことを生き甲斐とし、ついたあだ名は「皆殺しの天使」。職務を遂行するにあたり、非人間的で非情な切れ味(パフォーマンス)を発揮するからだが、そのあだ名の由来は「シャネル」の創始者、美しきガブリエル・シャネルにあった。  ガブリエル・シャネルは革新的なデザインでファッション業界に新たな流行をもたらした。装飾過剰だったそれまでのデザインを葬り去り、旧きデザイナーたちを用無しにした。だからガブリエル・シャネルは「皆殺しの天使」とあだ名されていたという。  警察内、あるいは敵対する犯罪者たちの中にファッション史に詳しい者がいたのか、それはわからない。きっといたのだろう。村瀬清路は容姿の美しさと非情さゆえに、ガブリエル・シャネルのあだ名を受け継いで「皆殺しの天使」と呼ばれ、恐れられてきた。  とはいえ――それも昔の話。 「今のせいちゃんは『皆殺しの天使』じゃなくて、ただの天使だ。おれにとっては」  再会してすぐにそう惚気けた坂木をあしらいながら、このクールで硬派な青年は同居を再開するずっと前から、刑事を辞めたおれに価値はない、と思っていた。  坂木と村瀬は、内縁の妻であり、母である村瀬麻里亜の死を通じて出会った。麻里亜の生前の希望で、坂木と村瀬はいっしょに坂木の家で暮らすことになる。そして共に麻里亜の死の真相を探り、村瀬の父――春彦(はるひこ)に対峙するうちに、心を通わせていく。  麻里亜を亡き者にしたのは春彦なのだ。さらに、春彦は他の人間も手に掛けていた。  「殺人者の息子」ゆえに警察に居場所を失った村瀬は、坂木の家を出ていく。さらに時間が経ち、二人は再会。  また、共に暮らすことになった。今度は作家と刑事としてではなく、作家と秘書として。そして、恋人同士として。
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