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天使は作家と朝寝がしたい・3
「あ、せいちゃん、ピンク。いいなあ」
坂木がそうめんをすすりながらそんなことを言う。そうめんの中に何本か混じっている、色付きそうめんのことだ。村瀬はちゅるりとピンクのそうめんをすすると、冷静に、
「今度は色付きだけ集めて、倫太郎さんの器に入れておきましょうか?」
「うーん、そういうのはな……萌えないんだよなぁ」
他愛ない話をしつつ、そうめんをすする。坂木の箸が卵焼きに伸びて、止まった。
「あ、最後の一個。せいちゃん、食べな」
「倫太郎さんがどうぞ。昼もおにぎりだけだったでしょう?」
「いやいや、若い子こそ食べないと」
「三十手前のおっさんですよ」
「どこが! 二十代だし、お肌つやつや、白髪もない、お腹もたるんでないし徹夜できる体力もある、若いよ! おれもせいちゃんを見習って徹夜できたらいいんだけど……」
言っていて、昔とは違う「老い」の現実にしょぼんとしたのか、坂木が肩を落とす。村瀬はぴくりとも笑わず、卵焼きの皿を押しやって、
「食べて、元気出してください」
「……ありがと」
もそもそと卵焼きを口にする坂木だった。続けて、ふぅとため息。
「夜のことも、もっとせいちゃんと、とは思うけど……おじさん体力なくて、もうバテバテだよ。ごめんな」
「締切に追われてて寝てなくて、おまけに猛暑続きですから仕方ないですよ。おれは、倫太郎さんにそういう方面の期待はしてません。ただ元気でいてくれたらいいんです」
「うう……ひとを親かおじいさんみたいに……」
「どっちでもないことはわかってますってば。でも、作家は体が資本。おれのことはいいから、むりしちゃだめですよ」
「はーい……」
でもなんというか、戦力外通告された気分、と箸を持ったままうなだれる坂木に、村瀬はかすかに笑う。
「坂木先生には、世に面白い大傑作を上梓するという使命があるんです。それはおれとのセックスより、重大なことなんです。だから、先生は自分の使命に邁進してください」
「……わかったよ。せいちゃんにそう言われたらやるしかないな。でも、寂しくないか?」
「大丈夫です」
「一人でしてない?」
村瀬はじろりと坂木を睨む。坂木はさっと目を伏せ、再びそうめんにとりかかった。村瀬もそうめんをすする。
エアコンが動く音だけが、村瀬の耳にかすかに届く。
「……仕事終わったら、いっぱいしような」
ぽつりと言った坂木。恋人の湯呑に麦茶を注ぎながら、村瀬はうなずく。
「はい。楽しみにしています」
「お、素直」
「……二度と言いませんよ?」
「ごめん、せいちゃん。おれはせいちゃんのそばにいられるだけでうれしい。いっしょに仕事したり、他愛ない話をしたり、隣で寝たり、せいちゃんが、おれにつきあって朝寝してくれたり。いっしょに食べるごはんも、美味しい。ありがとうな」
村瀬は視線を伏せると、また目を上げた。初めて少しだけうれしそうに、
「はい」
と、うなずいた。
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