☆オール・ユー・ニード・イズ・ラブ

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☆オール・ユー・ニード・イズ・ラブ

 村瀬清路が人生で初めて付き合った相手は、高校時代の先生である。遠野孝太(とおのこうた)という。化学の教師で、村瀬の担任ではなかったが、入学当初から憧れの目で見ていたのだ。  付き合わないかと言ってきたのは、遠野先生だ。遠野先生は放課後、村瀬を呼び出すと、「おれを見るときの、おまえの目つきがおかしい気がするんだが」とカマをかけてきた。先生は笑っていた。爽やかに、優しく。後でどうしてわかったのかと村瀬が訊くと、遠野先生は苦笑して、 「村瀬は性欲が絡むと、顔と態度に出る。普段はなにを考えてるかわからない顔してるのにな」  見抜かれた村瀬はたやすく落ちて、先生に一生ついていこうと密かに誓った。そして、遠野先生にゲイのあれこれも教えてもらった。――が、幸せだったのは一年間だけ。卒業と共に別れがやってきた。  しかし。のちに村瀬が警察を辞めてから、遠野先生が身元を引き受けてくれて、二人はいっしょに暮らすようになる。  再会した遠野先生は、最初は優しかった。しかし、初めは職探しに付き合ってくれて、村瀬の面倒を見てくれたのに、しばらくいっしょに暮らすうちに愛想が尽きたのか、彼には体の関係しか求めなくなった。  そのときのことがけっこうなトラウマになった村瀬は、遠野先生と別れ、再び坂木倫太郎と暮らすようになってからも、ベッドのこととなるとなかなか積極的にはなれないと思っていた――  はず、なのだが。  今夜も、村瀬は坂木に思い知らされたのだ。  けほっ、と咳をして、村瀬は己が喉を手で覆う。 「……喉、いたい」  なぜならさんざん喘いだからだ。ひんひん、あんあん鳴きすぎて、ヒリヒリする。  隣で熟睡している恋人、坂木が元凶だ。その顔を見て、涎れ、垂れてますよと村瀬は出ない小声でつぶやいた。親指で拭ってやり、その指をさらにシーツで拭う。寝室は冷房が効いていて、火照りが冷めかけた体には少し寒い。  おかしい、こんなはずでは、と坂木の寝顔を前に、村瀬は遠い目で思案する。そのまま二十分。生ける屍のようにぼんやりしていた村瀬は、坂木の声で我に返った。 「せいちゃん? 大丈夫か?」 「……だ、じょぶ、で、す」 「声、出てないぞ」 「この、前、声を、が、まん、しすぎて、嗄れたから、声を、だ、だした、のに……嗄れ、ました……。なんで?」 「自然の道理ってやつじゃないのかなあ。あれだけ大声出してたら嗄れるのは道理だ」  村瀬の顔が、首筋まで真っ赤になる。鋭い目が潤み、洟をすすって、ボソボソとこぼした。 「も、もう、りんたろうさん、とは、し、しない……」 「え、なんで!? 恥ずかしいのか?」  真っ赤な顔でこくりとうなずき、「い、いろいろ、しぬから」とぽろぽろ涙を流す村瀬。坂木は自分の頬を掻いて、 「うーん……。おれが『皆殺しの天使』を殺しちゃったか。でもおれ、必死で声を我慢してるせいちゃんも、タガが外れてあんあん言ってるせいちゃんも、どっちも見たい。もっと恥ずかしがってほしいし、もっと泣いてほしいな」 「ゆ、ゆるキャラの、くせに、鬼畜……」  よく村瀬から「ゆるキャラ」扱いされる坂木は、自分の好色非道っぷりを棚に上げる。ほわわんと呑気に笑って、 「せいちゃんの淫乱っぷり、今日も堪能させていただきました。ご馳走さまでした」  そんなことを言われ、村瀬は普段の硬派でクールな姿はどこへやら、恥ずかしさのあまりしくしく泣き出して、「も、もう、しま、しませ、んっ……!」と駄々をこねる。 「ああ、泣かせちゃった。ごめん、せいちゃん。愛してる」 「倫太郎さんなんか、き、きらい、です……っ」  そんなことを言いつつ、性欲旺盛な村瀬の脚の間は、再び昂りつつあった。  ――おかしい。遠野先生との肉体関係がトラウマで、おれはセックスには積極的になれない、と思い悩んでいたのに。それなのに、倫太郎さんはおれの悩みの内側にするりと侵入してきてそれをぶち壊し、「愛があればいいだろ?」なんて夢みたいな、無責任なことを言ったりする。  村瀬も心の底ではわかっていたのだ。夢みたいだからこそ、無責任だからこそ――馬鹿になれた。  再会して、初めは怯えるように体を重ねていた村瀬。やがて夜が楽しみになり、さらにいつしか、村瀬は坂木とするセックスに溺れるようになっていた。  そんなこんなで裸身でタオルケットに埋もれ、細めた目を潤ませる村瀬に向かい、坂木はご機嫌だ。 「エッチして爆睡したから、元気出た。いい小説が書けそうだ。せいちゃんは、寝たか?」  寝てませんと村瀬が答えると、 「寝たら喉も治るかもな。ありがとう。そんなになるまでおれを愛してくれて」  満面の笑みの年上の恋人に、村瀬も微笑む。  ――そう。愛こそすべてだ。だから、倫太郎さんになら、どんな恥ずかしい姿も見せられる。 「おれも。愛して、く、れて、あ、ありがとうございました、倫太郎さん」  媚びた目元で、村瀬が笑った。
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