☆ネジとカスタード

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○  気がつけば、村瀬はダイニングのソファに横になっていた。部屋着のスウェット上下を身に着けている。さらに、もこもこのフリースも羽織らせてもらっていた。  目覚めた村瀬がいちばんにしたことは、股間を触って反応していないか確かめることだった。そこは力を失っており、平常心を取り戻している。  よかった、と安堵し、体を起こす。少し目眩がしたが、すぐにおさまった。坂木の姿はない。  ……と、あたりを見回していたら、恋人は慌ててキッチンから出てきた。パジャマの上下にフリースを着ている。坂木は村瀬に冷えたスポーツドリンクを手渡した。 「ほんとに、ごめんな。気分は?」 「大丈夫です。おれこそすみません。倫太郎さん、したかったですよね?」 「せいちゃん、優しいなあ。ううん、おれのことは気にしないで」 「でも……」  せっかく求めてくれたのに、応えられなかった。そのことに村瀬は罪悪感を抱いてしまう。だが、坂木のほうが申し訳なさそうに顔を歪めた。 「ほんと、気にしないで。今日は見るだけって約束だったもんな。約束を破ろうとしたおれが悪いんだから」  ごめんな、ともう一度謝ってもらい、村瀬はこくりとうなずいた。ほっとした。そのうえ気まずく、気恥ずかしくなって、村瀬は自分の腹をパーにした手でさすった。 「……大丈夫です、怒ってません。腹、減りました。おやつ、食べませんか?」  坂木もほっとした顔だ。 「ごめんな、ありがとう。おれもお腹空いた。冷凍のたい焼きがあるけど、食べるか?」 「いただきます」  村瀬は少し笑顔になった。  再びキッチンへ向かう坂木。村瀬は努めて深呼吸して、もう一度ソファに横になった。のぼせた体は、今は冷えている。欲情したのが遠い昔のことのようだが、恋人の声を聞いたら再びすぐにでも催しそうになる。だから混乱していた。そんな自分を恥ずかしく思い、ため息を吐く。  ――したくないわけではないんだけどな。  ただ、流されることに抵抗があるのだ。遠野先生のときがそうだったからと思って、あの轍(てつ)を踏むまいと身構える。  だが、村瀬は自分でも気がついていた。おれはスケベだ、と。そしてスケベな倫太郎さんと、スケベなことをいっぱいしたい、と。  ――たまには、いいのかな。はめを外しても……。  そんなことを村瀬がつらつらと考えている間に、坂木がたい焼きを持って戻ってきた。ミニたい焼きで、白い耐熱皿に四つ載っている。 「お代わりもあるから、いっぱい食べてな」 「ありがとう。……倫太郎さん」 「ん?」 「その……ス、スケベな倫太郎さんも、嫌いではありませんから」  坂木は目をまん丸にして、それから笑った。うれしそうに、幸せそうに、豊かな笑顔で。 「はは、ありがとう。いきなりツンデレ?」 「おれ、ツンデレですか?」 「うん。せいちゃんはツンデレかなあ。あ、でもとびきりデレてくれるときもあって、ツンデレのときもデレデレのときもいつも可愛い。家宝です。せいちゃんは」  村瀬も思わず笑う。 「なんですか、それ」 「せいちゃんに惹きつけられちゃうんだよなぁ。そのきれいで凛々しい顔立ち、鋭い瞳、美しい体、気高い魂。闇を敵とし、闘って、闇を受け入れようと、もがくせいちゃん。その姿と生き様のすべてがおれの宝です」  たい焼きに手を伸ばし、笑う坂木。村瀬も手を伸ばしながら、目には涙が滲んでいた。それには気がつかず、坂木はたい焼きを頬張っている。 「あつつ」  はふはふとたい焼きを食べる姿に、村瀬は笑った。自分も口に運ぶ。驚いて、目を瞠った。 「あ、カスタード」 「そうそう。これ、カスタードたい焼きなんだ。せいちゃんはあんこの方が好きだった?」 「いえ、カスタードも好きです。美味しい」  にこっと笑う村瀬に、坂木もにこにこの笑顔だ。 「護りたいこの笑顔……」  そんなことをつぶやきながらたい焼きを食む坂木に、村瀬は真面目な顔だ。 「おれも護りたいです、倫太郎さんの笑顔」 「ん? ありがと。おれはせいちゃんとこうしてたい焼きを食べてるだけで、にこにこだからさ。心配しないでな」 「……はい」  村瀬が微笑むと、坂木も笑う。二人でゆっくり、たい焼きを食べた。  ところで、と村瀬が二つ目に手を伸ばしながら、神妙に尋ねる。 「風呂でしてたことの続きは、いいんですか?」 「え……! あ、い、いや。せいちゃんに無理させちゃったしなー」  露骨にそわそわしはじめる恋人が面白く可愛い。村瀬は真面目な顔で、坂木の腿に片手を乗せる。 「『人間椅子』がしたいなら、ベッドで騎乗位はどうですか?」 「せ、せいちゃん……! きょ、今日は妙に大胆だ。大丈夫か?」 「大丈夫じゃないですよ。確かに今夜のおれは、ちょっと変です。でも、狂いたい。たまには」  坂木は真面目な顔になって、うん、とうなずいた。 「たまには狂おう。それも大事だよ」  村瀬は恋人の口元についたカスタードをそっと舌で舐めとって、 「いつもマトモでいるのは、疲れますから」  そうつぶやくと、坂木は優しく微笑んだ。 「せいちゃん、いつもマトモでいなくちゃって踏ん張って、がんばってるもんな。そんなせいちゃんを、おれは崩したいんだ。壊して、どろどろに甘やかして、せいちゃんが自分自身や、しがらみを忘れて狂ってるところが見たい。おれにはどんな力もないけどさ。でも、なにもできないけど、愛することならできる。体の相性は最高だと思うから」 「……結局、猥談ですか」  目を擦り、村瀬は笑う。 「ありがとう、倫太郎さん。おれのマトモは、ネジをきつく締めすぎたマトモです。締めれば締めるほどネジは擦り切れ、ネジ穴は潰れる。マトモになろうとがんばるぶんだけ、狂気に近づいていく。それがおれです。だから……ありがとう」 「うん。たまには適切に狂わなくちゃな」  顔を見合わせて笑った。  最後のたい焼きを食べきって、どちらともなく指を絡めた。カスタード味のキスをしながら、ソファの上でもつれあう。  どんどん狂っていく自分が、今夜の村瀬はことさらにうれしい。
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