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☆二人の問題
「なあ、せいちゃん。『大人の玩具』って、興味あるか?」
恋人、坂木倫太郎の言葉に、村瀬清路は物凄い顔をする。倫太郎さんめ、さっきまでパソコンに向かって真面目に執筆していたのに、その集中力はどこへ霧散したのかと、訝る気持ちでいっぱいだ。
「やだ、せいちゃん顔が怖い」
そんなことを言う坂木は茶化しているのではなく、本当に怯えている。
なにせ村瀬は強面凛々しい美丈夫。その殺人的な騎士の眼力で、犯罪者だけでなくかつての同業者(警察官たち)も、みんな逃げていったものだ。
村瀬はじろりと坂木を睨むと、ばたんと音を立てて執筆スケジュールを書いた手帳を閉じ、
「いいかげんにしてください、坂木先生。締切が押してるんですよ」
「……ごめんなさい」
坂木はしょんぼりして謝る。しかし、「でもでも」と大きな体を乗り出した。
「今、全品三十パーセントオフなんだよ、夏のセールで」
「つられないでください」
「『興味があるアイテムはどれ? 試してみる大チャンス!』ってウェブショップのバナーには書いてあった」
「全人類が大人の玩具に興味を持つと思うのは、傲岸不遜ってやつです」
村瀬はあくまでクール、かつ鬼である。坂木の控え目なおねだりをずばずばとぶった斬り、あまつさえ自分のスマートフォンに手を伸ばした。
「渡辺さんに、もうすぐ原稿ができますって電話します」
「そ、そんな殺生な〜!」
渡辺とは、渡辺あずさ。坂木の担当編集者である。ここ最近、坂木と渡辺の間には激しい「締切攻防戦」が行われており、「延ばしてくれ」「いいえ延ばせません」と闘いは互角であった。
坂木はついに諦めたのか、肩を落とし、
「わかったよ……。あーあ、憧れだったんだけどな……。せいちゃんに大人の玩具であんなことやこんなことをするの」
「おれは許してませんよ。倫太郎さんだけで勝手に突っ走らないでください」
「はぁい。そうだな、こういうことはお互いに話し合って、合意のうえで行うことが大事だもんな!」
うんうんとうなずく坂木。その普段はぼんやりした目が、きらきらと輝いた。
「ある作家さんが言ってた。『どんなにアブノーマルなプレイでも、互いに合意があればそれはノーマル』だって」
「……はい?」
「だからせいちゃん、ぜーんぜん、恥ずかしがらなくていいからな!」
村瀬の掌底が坂木の額にキマった。眼鏡がずれて、坂木は目を瞬いている。村瀬は年上の恋人を睨む。
「おれは、恥ずかしくなんてありません」
「えっじゃあなんの問題……」
「恥ずかしくなんて! ありませんっ」
逸らした目が泳いでいて、耳まで真っ赤。ぼそぼそとつぶやく。
「ただちょっと……こ、怖い、だけ、です……」
坂木は目を瞠って、ふるふると顎を震わせて。
「せいちゃんー!」
思い切り抱きつかれた村瀬は、助けてくれと言いたげに天を仰ぐのだった。
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