七夕の約束事

4/4
前へ
/4ページ
次へ
 ***  返信が来るとは思っていなかったから、差出人に【牧慎一】と名前が書いてある手紙が郵便受けに入っていたのを見つけたときには自分の目を疑った。慎一の名前を何度もこすって消えないかどうか確かめてしまった。ボールペンで書かれた整った文字は指でこすった程度では消えなくて、慎一からの手紙が幻ではないことがようやくわかった。それでもなんとなく開けるのは怖い。怖い、という感情を抱くのは久しぶりだ。手が震えている。書店で慎一と向き合ったときの浮遊感がよみがえってくる。何が書かれているだろう。いじめていた俺を罵倒する言葉だろうか。今さら謝るなんて、許すつもりはないって、そういう拒絶だろうか。そう考えると手紙を出したのはこっちのくせに今さら怖気づいてしまって、手紙を開封することができなかった。もしかしたら慎一だって俺からの手紙を開封するの、怖かったかもしれないのに。掌に汗が滲んできて、子どもみたいにズボンにこすりつけたけれど、湿り気は少しもなくならなかった。  慎一の本を購入してから、自分で弁当を作るようになった。生姜のたれに付け込んだ肉を焼いてみるとか、表紙に載っていたほうれん草の胡麻和えとか簡単そうなものだし、冷凍食品を使うこともある。ほうれん草の胡麻和えを作ったときにはゆでる時間が長すぎたせいなのか、ほうれん草のシャキシャキとした食感がほとんどなくなってしまったという失敗もあった。それでも初めて俺が弁当を持ってきたのに気づいた広沢さんは目を見開いて、それから「頑張ったな」と言ってくれた。  必然的に食堂に行かなくなった俺は、広沢さんと休憩を一緒に過ごすことが多くなった。一つ年上なだけなのに広沢さんはまるで自分の子どもの成長を眺めるように毎日「頑張ってるな」を繰り返した。 「全然だめですよ。俺、料理向いてないのかもしれません」  作りたいと思っている卵焼きは一向に上達する気配を見せない。フライパンは卵焼き用の四角い専用のものを新調したから、それが悪いわけではない。油の量が足りないわけでもなさそうだ。でも、なぜかくっついて破れてしまう。だから俺の弁当には毎日出来損ないのスクランブルエッグみたいなぐしゃぐしゃな卵焼きが入っている。そう広沢さんに話すと彼は首を傾げた。 「フライパンを温める時間が足りないんじゃないか? ちゃんと温まってるか、卵液を少し落として確認した方がいい」  的確なアドバイスをくれる広沢さんの弁当には、いつも絵に描いたように綺麗に巻かれた卵焼きが入っている。今日は枝豆入りの卵焼きが入っていて、より色鮮やかだ。彼の料理のレベルには到底追いつきそうにないと舌を巻く。そんな料理上級者の広沢さんのアドバイスである、フライパンの温度を確かめる作業はしていなかったと反省した。 「どんな本を買ったんだ? まさか分厚いやつじゃないよな? 最初は簡単なものでいいんだから」 「牧慎一って人の本です」  慎一の名前を出すのはなぜか怖くて少し声が裏返ってしまったけれど、広沢さんは気づかなかったらしい。「牧慎一ね、有名だよな。俺も本持ってる」と大きく頷いた。 「牧慎一の本なら、これもおすすめ」  話しながら広沢さんがスマホを操作する。見せてくれた画面に表示されていたのは肉料理の本だった。 「結構簡単なの載ってるし、メイン料理がたくさん載ってるから夕飯作りに重宝してるんだ」 「なるほど」  スマホのメモ機能を開いて、そのタイトルを記しておく。慎一のことを思い出すと複雑な気持ちになって掌に汗が滲んだけれど、本や料理に罪はない。むしろ簡単な肉料理というのは広沢さんと同じく一人暮らしの俺にとってありがたい。広沢さんに礼を言って、再び弁当に箸をつけた。今日の仕事を終えたらまた書店に寄ってみようと思った。  梅雨が明け、夏の夕方特有の暑苦しい空気に包まれていた体が、書店の自動ドアをくぐった瞬間に一気に冷やされた。さっきまで半熟卵みたいなオレンジ色の夕日を見ていた俺の目に飛び込んできたのは色とりどりの人工的な原色。俺と一緒に入り込んだ風にあおられ、目の前の笹の葉と短冊がさらさらと揺れた。そうか、今日は七夕だ。四北の小児病棟でも七夕のイベントをやったと聞いていたし、患者さんの食事では星形のゼリーが配られた。七夕のイベントの話を聞いたのは、今日の退勤前に謝りに行った元カノからだった。先日のオムライスの件を謝ると、彼女は苦笑して「もういいから」と言ってくれたが、それはもう深くかかわることのない俺に対しての拒絶であったようにも感じられた。俺たちがよりを戻すことはないだろうけれど、仕事での情報交換くらいの会話はできた。「七夕のイベントがあったから疲れちゃった」と肩をもむ仕草をする彼女に「お疲れ様」という言葉をかけるに留めたが。  この書店でもイベントを行っているのだろう、七夕行事の開催を知らせるポップなポスターが掲示されている。短冊とペンもきちんと用意されているし、その周りには七夕にまつわる書籍が並べられている。織姫と彦星の物語なんて懐かしい。幼稚園の先生が絵本の読み聞かせをしてくれたはずだ。  短冊に書かれている文字は、ほとんど拙い子どものものだ。足が速くなりますようにとか、ゲームがほしいとか、中にはおじいちゃんの病気が治りますように、なんてものもある。短冊に願い事を書いたら叶うなんて信じているわけではないけれど、しっかりとペンで書かれたその文字を一つ一つ見ていくと、どれも叶ってほしいと心の底から応援したくなるし、心のよりどころがあるというのは大人も子どもも大切なことなのだと思う。  俺が小児病棟の担当だったら子どもの書いた短冊をこうやって眺めたのかな、と妄想が広がったとき、子どもにしては整いすぎた【願う】という文字が目に入った。まるでクローバー畑に一つだけひっそりと生えている四葉のクローバーを見つけたかのように、その綺麗な文字に視線が吸い寄せられた。短冊に手を伸ばし、笹の葉をかき分けて現れた文字列の上の部分を見て、自分の目を疑った。ここで見るとは思ってもみなかった【佳彰】という文字を見つけたからだ。 【佳彰の幸福を願う】  その文字に、見覚えがあった。ちょっとカクカクした整った文字は、先日届いた手紙の宛名の文字と同じだった。短冊に名前は書かれていないが、間違いなく慎一だ。 「どうしてだよ」  確かに、手紙には中学時代のことを許してほしいと書いた。許してくれたということなのだろうか。わからない。手紙を読まないと、慎一の心情を理解することはできない。  肩から下げたバッグの中に手を突っ込んだ。ずっとずっと持ち歩いていた、淡い黄色の封筒。なんで持ち歩いていたのかと聞かれても困ってしまうが、手放したくなかったその手紙の封を震える手で開けた。 【手紙、読みました。】  慎一の文字は硬く、小刻みに震えている気がする。どんな思いで俺の手紙を受け取ったのだろう。どんな思いで文字を綴ったのだろう。緊張していたのかもしれない。怖かったのかもしれない。俺みたいにすぐには読まなかったかもしれないし、そもそも読まないという選択肢もあったはずだ。それでも慎一は手紙を読んで、返信を書いてくれた。 【中学時代の佳彰のことは好きになれなかった。だけど、今の僕があるのは幼稚園での佳彰との七夕の思い出があるからです。短冊に書いた佳彰の言葉はずっと覚えています。僕の夢を応援すると約束してくれたよね。佳彰はもう忘れてしまっていると思っていたけど、覚えていたんだね。その約束があったから、僕は夢を叶えました。ありがとう。】  手が、さっきよりも大きく震える。きっと俺のこと、いまだに許せない気持ちもあるに違いない。そもそもいじめを許すということは一切書かれていない。中学時代は慎一にとって楽しい思い出はないのかもしれない。それでも俺にあたたかい言葉をくれる。幼稚園で初めて話しかけたときのことを思い出した。スモックの汚れを必死に落とそうとしている男の子がいて、どうしたのだろうと気になった。汚されたことを友達に抗議することも先生に相談することもできないほど、小さい頃からずっと心優しい慎一が、変わらずに手紙の中にいた。  ぽたり、と手の甲に水滴が落ちた。慌てて目元に手をやると、涙が溢れていた。こんなところで泣くわけにもいかないのに、涙は壊れた水道みたいに止まらなかった。それでもごしごしと掌で涙を拭った。目の前の短冊を見つめる。黄色い短冊に書かれた文字が、風に揺られてひらひら舞っている。文字が、再び目の表面を覆った涙で滲む。目にぐっと力を入れると、表面張力ぎりぎりでどうにか涙は止まってくれた。  俺も、書こう。そう決心して青色の短冊とペンを手に取った。幼稚園の頃と比べてもちろん字は上達したが、文字が大きいのは相変わらずだ。慎一のように整った文字でもないから彼の短冊と並べるのは恥ずかしいけれど、書き終えた短冊を隣に吊るした。 【慎一が幸せでありますように】  会えなくたって、短冊を見てくれなくたって、もう手紙のやり取りをしなかったとしてもかまわない。それでもいいから、俺も慎一の幸せを願うよ。慎一が毎日笑っていることを願う。お互い見えないところで願い続けよう。そしてこれからもずっと、慎一を応援すると約束するよ。  最後に願いを込めるように一度だけ短冊の表面を撫でると、揺れた二枚の短冊が少しだけ触れあって、さらりと心地よい音を鳴らした。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加