最悪な翌日

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 こうなったら、全部正直に話してしまおう。 「ほんとは、私なんかがお邪魔するなんて恐れ多いと思ってたんですけど! この機会逃したら二度とないだろうなって……田代さんにはご迷惑をおかけしていますが」 「俺は平気だよ。ただね、家でのことは見過ごせないというか」  家に来たことは口外無用ってことかな。  もちろん、そんな匂わせをするつもりはない。 「わかってます。だれにも言いません」 「いや、そういう話じゃなくて」  なら、どういう話だろう。  きょとんとしている私を見て、田代さんが困った顔をする。 「聞き返されるとちょっと困るけど……」 「……念書とか、いりますか?」  契約書なら馴染みがあるけれど、念書は書いたことがない。でも、ネットで調べれば書式はわかるだろう。  さすがネット。ネット万歳。それのせいで田代さんにご迷惑がかかってるんだけど。 「あっ、でも判子とか持ってなくて。指のあれ……血判でしたっけ? あれでいいですか」 「いやいや、そんなのはいらないけど。  それと、小笠原さんが言いたいの拇印だよね? こんなんで指切らせないよ……」 「あっ……。間違えました……」  拇印って言葉が出てこなくてうっかり物騒なほうを言ってしまった。  流血沙汰になんてしたら、また語弊が生まれてしまう。 「ねー、ジャケット着たら暑いよねー?  羽織るのってどうすればいいの、肩からめっちゃ落ちそうなんだけど」  やっと着替えを終えて――ううん、まだ終わってなさそう。昨日買ったジャケットを肩で上下させながら翔哉君が戻ってきた。  羽織り方がわからないみたいで、服をマントにして遊ぶ子供みたいになっている。 「ああ、ちょうどよかった。お前からも話聞きたかったんだ」 「なんの?」 「お前、とぼけるのも――」 「私が田代さんのファンですって話をしてたんです」 「ん?」 「へー」  軽い相づちを置いて翔哉君はコップに水を注ぐ。  あれ、田代さん黙っちゃった。  翔哉君に聞かれないように配慮してくれた――んじゃないな、たぶん。なんかすごく動揺してるし。  視線が私と翔哉君を行ったり来たりしているけれど、口元は動くだけでなにも発さない。なにに驚いてるのかわからなくて、私もなにも言えなかった。  そして田代さんは、翔哉君に話しかけることを選んだ。 「お前、ラビアンに出たことある?」 「なに? アラビアン?」 「アはいらない。雑誌」 「雑誌って――俺が出るわけないじゃん、モデルじゃあるまいし」  コトンとコップの置かれる音。  ラビアンは毎号買っているけれど、私も翔哉君を見た覚えはない。配信者特集なんて、やってたことないし。  翔哉君の返答に、田代さんはなぜか深く項垂れた。 「田代さん?」 「……ちょっと待って、今整理してる」 「なにを?」 「お前も黙れ」 「なんで!?」  八つ当たりのように吐き捨てられ、翔哉君が抗議の声を上げる。  ……これは?  なにか、うん、行き違いが生まれている気がする。  でもなんだろう。なにがズレてるんだろう。  田代さんは私が翔哉君のストーカーだと思ってて。それで私は田代さんのファンだって伝え――伝え?  ……翔哉君のファンだと思われてる?  あれ、私、田代さんのファンですって言ったつもりなんだけど、伝わってなかった? でもでも、雑誌で見たって言ったし、サイン会の話もしたよね? なのに?  田代さんと顔を見合わせる。  お互い、なんとなく言いたいことは伝わった。 「……翔哉」 「うん?」 「ちょっとコンビニ行って甘い物買ってきて。三人分。ついでに好きなお菓子買ってきていいから」  翔哉君は鼻歌混じりに外に出ていった。  
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