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「はい、あーん♡」
まぁその結果として、生きてはいるが、場末の安キャバで見知らぬおっさん相手に食べさせあいっことかしているわけである。それを良かったと取るかどうかはご想像にお任せする。
おっさんの唾液がべったりとついたフォークを大変に気持ち悪く思いながらも、同じように食べさせてもらう。客の機嫌を損ねると大変なので、店としてルール違反などがない場合、基本的に「拒否」というコマンドは嬢の側には存在しない。ほとんどの店はやましいことがあるので、警察は呼べない。面倒を起こせないのだ。
「マキちゃん可愛いねぇ。このあと一緒にご飯行こうよ」
「嬉し~! でも今お腹空いてないからぁ、今度一緒に食べに行きましょうよ。美味しいもの食べて、その後お店で飲めたら楽しいだろうなぁ」
要は同伴の誘いだ。アフターはくそめんどいし、ご飯で終わらない可能性があるから断固拒否の構えである。これに関しては店外での行動になるので拒否コマンドが発動可能。
「えぇ~? お腹空いてないなら、ご飯じゃなくていいからさ、店の外で飲もうよ」
言いながら体を寄せて、短いスカートの中に手が入る。最初の不機嫌面はどうしたくそオヤジ。
さてここでクイズである。キャバクラではお触りは厳禁だ。では、この行動に対して拒否コマンドは発動可能か。
「も~だいぶ酔ってるでしょ~、めっ!」
答えは「微妙」である。
冗談めいた口調で外そうとするが、手は退けてくれない。顔は笑顔をキープしているが、内心は罵詈雑言である。
先に述べた通り、キャバクラではお触りは厳禁だ。店のルールでもそうである。きちんとした店なら黒服がしっかり叱ってくれる。罰金取られるかもしれないから本当に気をつけろ。
しかし場末の安キャバでは、触らせることで金を取っている嬢が存在する。そうなると、当然黒服も止めない。他の嬢は触らせてくれる、店員も止めない、ではルールとして成立しない。むしろ「暗黙のルールとしてOK」ということになる。この場合、一人だけ強く拒否するとトラブルの元になる。
偶然を装って酒でもぶっかけてやろうかな、と考え始めたところで。
ぱしゃ、という水音と共に、頭が冷たくなった。
「きゃ~! やだぁ、マキちゃんごめんなさぁい!」
キンとくる高音でわざとらしく謝ったのは、カナだった。
「どうしよ~、ドレス染みになっちゃう! それすっごく高かったんでしょぉ?」
「うん、バースデーで買ったとっておきなんだけど……でも今、せっかく鈴木さんとお話してるしぃ……」
名残惜しそうな、縋るような目でおっさんを上目遣いで見上げる。イメージは平成に人気だった某消費者金融のCM犬である。
「いいよぉ、着替えてきなよ! 待ってるからさ」
「ほんと? 嬉し~! 帰っちゃやだからね!」
そそくさと席を立って、見えないようにカナにバトンタッチする。
「もうちょっと上手くやってくださいよぉ」
「ごめん、ありがと」
この手のあしらいはカナの方が上手い。客に背中を向けているから、ほっとして緩んだ表情を見せる。大丈夫、というようにカナが手を絡めた。
「まぁ任してくださいよ。ケツ毛までむしり取ってやりますから」
星が出そうなウインクをかまして、するりと手を解いた。そういう表情は客にしてやれ。
「マキちゃん戻るまでカナとお喋りしてましょ~!」
カナが席に着いたのを確認して、バックヤードの方へと向かう。もちろん、ホールを出るギリギリまで手を振って、早く立ち去りたい気持ちは悟らせないようにしながら。
狭くて薄汚いバックヤードで、タオルで乱雑に頭を拭いてからドレスを脱ぐ。ヘアセットは勤務前に専属の美容師がやってくれる。料金は毎月勝手に福利厚生費として給料から引かれるので、頼んでも頼まなくても金は取られる。順番待ちが嫌で頼まない嬢もいるが、私はどうせ払うならとやってもらっている。
美容師は遅入りの嬢のために暫く待機していることもあるが、開店数時間でいなくなる。今日はもう退勤済みだ。自分では元通りにできないので、全て解いてから適当に纏め直す。すぐにドレスに着替える気になれなくて、暫く下着のままぼうっと椅子に腰かける。誰かが来てドアを開けたら丸見えなわけだが、もうそんな恥じらいは残っていない。
どうせならこのまま一服していくか、とサボっていると。
「おいマキ!! お前着替えにどんだけかける気だ! さっさと戻れ!」
「ちっ」
「堂々と舌打ちすんじゃねぇ、サボリ分給料から引くぞてめぇ」
「だったらお前の怠慢分も給料から引け。ああいうの止めてって前も言ったじゃん」
「あのくらいあしらうのが嬢の仕事だろ」
「やってらんねぇ~。うちの黒服は金にならないくそ客引っ張ってくるしか能がねぇ~」
「なんだとてめぇ。だったら自力で呼べ」
呼び戻しに来た黒服相手にだらだらと愚痴りながら、渋々着替えてホールへと戻る。
先ほどのくそオヤジはどうなったかと視線を向ければ、カナによってほとんど潰されていた。さすが。
視線に気づいたカナがポーズを取った。可愛いな、と思いながら私もジェスチャーを返す。
別の客の席について、貼りつけた笑みで、上っ面の会話をする。
ああ、くそダルイ。やっぱり人間なんか嫌いだ。
だけど、ごくたまに、さっきみたいなこともあるから。うっかり、誰かの善意に触れたりすることがあるから。
結局私は毒だと思いながら、口にすることをやめられない。
これからも、そうして生きていくのだろう。仕方ないから、終わりの時までは付き合ってやる。
これからもよろしく、私。
これからもよろしく、人間ども。
世界はそんなに悪くないぜ。
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