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「…だった?」
俺は驚いて聞き返す。千尋は写真を見ながら頷くと。
「その撮った山に登って、下山中滑落して遭難。遺体も見つからなくってさ。もう五年? になる。そん時のお土産がそれ」
さっきの正体不明のキーホルダーを顎で指した。
俺は先ほどと違う趣きで写真とキーホルダーを眺める。写真に写るのは、三角の頂上を持つ堂々とした山容だ。多分、間近で見ると迫力満点だろう。
「何ていう名前なの?」
「マカルーって言う山」
「マカルー…」
ばかみたいに繰り返す。
聞いた事はなかった。知っているのはエベレストくらいだ。それも、現地ではサガルマータ、チョモランマと言うらしい。
それを知って、へぇと思った事があるくらい。その程度の知識だ。
先ほどまで愉快な表情に見えたキーホルダーも寂しげに目に映った。
千尋のお父さんが最後に買ったお土産。単なるお土産になるはずが、一転、最後のプレゼントになるとは思いもしなかっただろう。
これを選んでいた時の、千尋の父親の顔が浮かぶようだった。きっと、嫌がる千尋の顔を思い浮かべ、くすりと笑いながら購入したに違いない。
千尋はテーブル前のソファに座る様に促す。
「そこ、座って。麦茶飲む?」
「うん…」
五年も経てば慰めももういらないだろう。
なんと言っていいのか分からず、ただ言われた通りソファにちょこんと座り、再び横の壁に飾られた写真に目を向ける。
千尋のお父さん。どんな人だったんだろう。
周囲を眺めても、それらしい人物の写真は置かれていなかった。
千尋は二人分の麦茶をコップに入れて持ってきた。ペットボトルでなく、パックでちゃんと淹れているらしい。香ばしい薫りがそこからする。一口飲んでから。
「千尋、寂しくは…ない?」
ネパール一色に染められたままの部屋。父の残したキーホルダーと写真。部屋には多分に父親の影を感じるのだけれど。
「どうだろ。今の生活が当たり前だから、寂しいって思ったことはない」
麦茶に口をつけながら、まっすぐ前を向いたままそう答えた。その表情からは何も読み取る事は出来ない。
寂しそうと言えばそう見えるし、気にしていないと言えばそう見えるし。けれど、ふとその表情を崩し視線を落とすと。
「でも、今はちょっと寂しいって思うかも…」
「どうして?」
すると、千尋は不意にこちらに視線を向けて、それをまたすぐ手元のコップに戻す。
「…理由は分かってる」
「そうなの?」
「今までは一人が普通だったから。けど、気になる奴が出来て、そうすると、そいつと離れている時間は寂しいなって、思う」
「気になる奴…。いるんだ」
「いる」
千尋はコップを両手に包み込みながら間髪入れず返す。
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