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電車とバスを乗り継いで向かった先はホームセンター。土曜日とあって人出はそれなりにある。まさかと思って聞き返す。
「で、南国?」
「うん。南国直行!」
直行?
俺には全く理解出来ない。
千尋は俺の手を引いてぐんぐんと店の中を突っ切り、左端の外と続いているエリアに向かう。
途中、トイレットペーパーや洗剤、特売お菓子コーナー等が、飛ぶように背後に流れて行った。
奥まで来た所でようやく千尋は立ち止まると。
「ここ」
そう言って指し示す場所には、ガラス戸があった。
「ここ?」
千尋はにっと笑んだあと、そのガラス戸をぐぐっと押して中へと入る。
続いて中に入ると、ムッとした空気に思わず呼吸困難に陥るかと思った。
「な? 南国だろ?」
あ─…。
湿気を含んだ重い空気。天井まで覆う濃い緑の影。確かにここは。
「うん…。南国、っぽい」
すると千尋は頬を膨らまし。
「っぽい、じゃなくて『南国』なんだって。ホラ、鳥もいる。ハイビスカスも咲いてる。ここ、座って」
そう言って、庭木用のヤシが茂る中、休憩用に置かれた白いベンチに座るよう勧めて来る。
ここは観葉植物や、庭木用の大型の植物が置かれているコーナーの一画だった。全面が、ガラス張りになっている温室だ。
鳥は換気用の窓のから入り込んだものだろう。多分、スズメやセキレイだ。
ハイビスカスの他にも、ソテツやアレカヤシ、モンテスラにストレチア、ブーゲンビリア、プルメリアがあった。そこから、甘い香りが漂う。
南国…かも?
「空、見えるだろ?」
上向く千尋を真似て、頭上を見上げれば、ポッカリ空いた天井から空がよく見えた。ここだけ大きく開口部が開けている。
「見える…」
「で、目を閉じる」
うん?
言われるまま目を閉じた。千尋の大きくはないけれど、耳障りのいい伸びやかな声が耳朶に響く。
「風に揺れる木々の音。降り注ぐ太陽の光り。囀る鳥の声。甘い花の香り。眼の前には白い砂浜と遠浅の海。ここは南の島──な?」
千尋の言う通り、次々と思い浮かべ。そうすると、本当に南国にいるように思えた。
「うん…。そんな気がしてきた」
「だろ?」
千尋は嬉しそうな声を上げて、肩に寄りかかって来た。フワリと甘い香りがする。南国の香りだ。
思わず目を開けて隣を見る。
すると、目に飛び込んで来たのは、日に透けてキラキラ光る金色の髪と、じっとこちらを見つめる瞳だった。
とくんと心臓が鳴る。
瞳は思ってもみなかった、穏やかな色をたたえていた。
なんでこんな目で見つめて来るのだろう?
不思議でしかたない。俺は千尋を知らないし、千尋だって俺のことを知らない。
「千尋は、時々来るの?」
「ん。時々」
そう言うと、肩に頭を預けたままベンチについていた右手を握ってきた。
「ここ、教えたの拓人が初めてだ」
「そう、なんだ…。ありがとう。連れて来てくれて…」
「もっと秘密の場所、教えるから。また、来週出掛けよう? 土曜日、迎えに行く」
千尋は真っ直ぐ見つめて来る。俺は何だか気恥ずかしくなって、まともに千尋が見られず俯いて答えた。
「うん…」
握られた手が、とても温かく感じた。
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