うみのかみ

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うみのかみ

 この国の首都は西洋を模した、ハイカラの様相だ。  そんな街にも一つ、寺がある。  今日に至るまでの長い時間を、その場の空気として漂わせているが、人の手が入らなくなった()れ寺ではない。  蜘蛛の巣も張っておらず、境内(けいだい)の掃除は行き届いている。  しかし、石造りの階段に腰を下ろした青年以外に、人は見えなかった。  漆を思わせる黒い瞳を持つ彼の面持ちは、修行者そのもの。だが、身に着けているのはシャツにサスペンダー。  青年は自分の両手をじっと睨み、複雑な手遊びのように指を何度も組み直す。  一旦終えると、抱えている鞄の上に置いたノートを開く。 「……あー、覚えられん!」  青年――吉川(よしかわ)道行(みちゆき)は悔しそうな声を上げた。 「おいおい、(しょ)っぱなで難しいヤツを(そら)で結ぶつもりか」  後ろから声をかけられ振り向くと、山伏の服装をした無精髭の男、清水(しみず)秋世(あきよ)がいた。  道行の肩越しに、ぎっしり埋め尽くされたページを覗き込む。 「おわー。印結ぶ時の手の形まで模写する奴、初めて見たわ」 「図書館の本を持ち歩くのは気が引けるので」 「で、模写の成果は?」  道行が溜息をつく。 「今のところ、どの呪文も完璧にこなせる自信がありません」 「呪文なんざ早口言葉よ。知ってりゃ凄いが、それが全てじゃねえ」 「でも、清水さんは言えるでしょう? 守人(もりびと)の修行に呪文の暗記があると聞きました」 「図書館に置いてあるのは、ほぼ全て覚えさせられる」 「言えるってことじゃないですか……はあー、俺は陰陽寮(おんみょうりょう)で楽な仕事をしてたんだ……」
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