6人が本棚に入れています
本棚に追加
うみのかみ
この国の首都は西洋を模した、ハイカラの様相だ。
そんな街にも一つ、寺がある。
今日に至るまでの長い時間を、その場の空気として漂わせているが、人の手が入らなくなった破れ寺ではない。
蜘蛛の巣も張っておらず、境内の掃除は行き届いている。
しかし、石造りの階段に腰を下ろした青年以外に、人は見えなかった。
漆を思わせる黒い瞳を持つ彼の面持ちは、修行者そのもの。だが、身に着けているのはシャツにサスペンダー。
青年は自分の両手をじっと睨み、複雑な手遊びのように指を何度も組み直す。
一旦終えると、抱えている鞄の上に置いたノートを開く。
「……あー、覚えられん!」
青年――吉川道行は悔しそうな声を上げた。
「おいおい、初っぱなで難しいヤツを暗で結ぶつもりか」
後ろから声をかけられ振り向くと、山伏の服装をした無精髭の男、清水秋世がいた。
道行の肩越しに、ぎっしり埋め尽くされたページを覗き込む。
「おわー。印結ぶ時の手の形まで模写する奴、初めて見たわ」
「図書館の本を持ち歩くのは気が引けるので」
「で、模写の成果は?」
道行が溜息をつく。
「今のところ、どの呪文も完璧にこなせる自信がありません」
「呪文なんざ早口言葉よ。知ってりゃ凄いが、それが全てじゃねえ」
「でも、清水さんは言えるでしょう? 守人の修行に呪文の暗記があると聞きました」
「図書館に置いてあるのは、ほぼ全て覚えさせられる」
「言えるってことじゃないですか……はあー、俺は陰陽寮で楽な仕事をしてたんだ……」
最初のコメントを投稿しよう!