牛丼屋のカレー

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「……ヤクの成分的にはダウナー系なんだけど、多めに飲んでキマってからセックスするとめちゃくちゃイイんだってさ。サマシャワの連中は都内のホテルだと目立つから、レコード会社の社長の別荘を借りてヤリまくってるらしいよ」  春田は大河内から教えて貰ったのか、数名の女優やミュージシャンの名前を上げた。 「社長も薬やってるのか」 「上客中の上客」 「芸能界も爛れてるな」 「そんなの分かりきってるじゃん」  事情通のような口をきいていた春田は突然黙り込んだ。その理由は俺にもすぐにわかり、慌てて減速した。前方の車がハザードをつけて停車する。少し先に眩しいほどの電灯がいくつも光っていた。 「検問か」  俺は思わず舌打ちした。こんな夜中に御苦労なこった。 「まさか大河内がパクられたんじゃないだろうな」 「あいつはそんなヘマしないよ」  春田は強い口調で否定し、ショルダーバッグを強く抱え込んだ。  車列はゆるゆると進む。俺は美声のパーソナリティが投書を読み上げているラジオの電源を切った。途端にワイパーの音が耳について少しイライラしてきたのを自覚し、深呼吸する。こういうのは、とにかく怪しまれちゃいけないんだ。  人影に気づいた俺は半分ほど窓を開ける。制服に合羽を着込んだ警察官が覗き込んだ。 「スミマセン、A**町で強盗殺人事件がありまして、検問しとります。免許証拝見できますか?」  俺はすぐに免許証を差し出した。一度も違反したことのないピカピカのゴールド免許だ。ここから組に繫がることはまずない。だからこそ俺は西方さんの信用を得ているのだ。 「こんな時間に大変ですねえ。なに盗られたんですか?現金ですか?」  それとなく訊いてみたが、警官は薄く笑っただけで答えない。捜査上の秘密とやらだろう。 「宮本さんですね……ありがとうございます」  免許証を返しながら、警官はちらと俺の頭の先を見やった。 「連れの方、大丈夫ですか?」  慌てて隣を窺うと、春田は額に汗を浮かべて震えていた。彼が抱き締めているバッグを見ないようにするのはひと苦労だった。警官は抜け目なく俺たちの視線の動きを観察しているはずだ。  俺はどうにか微笑んでみせた。 「乗り物酔いする奴なんですよ」 「お辛いですね。それなのになんでまたこんな夜中にお出かけなんですか?」  しつこいな。春田が平然としてればこんなことにはならなかったものを。とにかく怪しまれてバッグを見せろと言われないようにしなければ。裸の現ナマなんて、たとえでA**町で盗られてなくても怪しまれて当然だ。 「コイツの奥さんが産気づいて、今H**市の病院に居るんですよ。もうじき生まれるから急いでるんです」  これは、検問や職質の時に俺が使っている常套句である。なんとなく「親が危篤」より説得力がある気がするのだ。H**も大きな市だから、どこを走っていても目的地として使いやすい。 「それじゃあ気分が悪くても急がなくちゃいかんですね」  警官は濡れた手を窓から差し入れて人の良さそうな笑みを浮かべた。 「手首から指三本ほど下にツボがあるんです。ホラ、ここね。気休めですが、ちっとはマシになるかも知れませんよ」  俺は礼を言ってアクセルを踏んだ。検問を抜けると視界が開け、再び快適なスピードを出せるようになった。 「春田あ、お前なに震えてんだよ。俺が居なかったら今頃任意同行求められてたぞ」 「うん……ありがとう」  春田の顔色はすっかり戻っている。 「ああいうときは堂々としてりゃあいいんだよ。そうすりゃバッグの中身見せろなんて言われないから。万が一見せなきゃいけなくなっても、会社の売上げとか説明すりゃどうにかなるって」 「それがさあ……」  春田はバッグを開け中に手を突っ込むと、札束をかき分けるようにしてチャック付きの透明な袋を取り出した。 「お前、それ……」  俺はうっかりアクセルを踏み込んでしまい、慌ててブレーキをかけた。  袋の中には外国製のサプリメントみたいに大きくて楕円形をした、毒々しいくらいに鮮やかな黄色の錠剤が数個入っていた。 「こいつ見つかっちゃったらその場で逮捕だからね」  さっき大河内に引き渡したはずのクスリじゃないか。どうして春田が持ってるんだ。その場で買ったのか。 「まさかあ、ちょこっとだけ貰ったんだよ」 「大河内に頼んだのか」 「いやあ、無許可」  それは盗んだって言うんじゃないか。 「大河内は怒らせたらヤバいんじゃなかったのか?」 「錠数かぞえるのは意外にテキトーなんだよ。これまでもバレなかったから平気へーき」  そうだ、春田の日課は麻雀とパチンコと酒、たまにクスリだった。こんなどうしようもない奴にクスリの取引をさせるのは危険……というかすでにやらかしてるのに、他の組員が嫌がるせいで西方さんも仕方なく任せてるのだろう。  春田はチャックを開けて錠剤をひとつつまみ出した。 「すっごい色だよね。熱帯魚みたい」  うっとり呟くと春田は何のためらいも見せずにネオンイエローの粒を口に入れ、そのまま飲み込んだ。 「おい……」 「大丈夫だよお。これ飲むとよく眠れるんだよね」  あんなデカいクスリ、水を飲まないで喉に引っ掛からないのだろうか?  雨足はだいぶ弱まってきたし、当たり前だが検問にも出会わず順調なドライブが続いた。この調子ならあと一時間くらいで事務所に到着できるだろう。
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