牛丼屋のカレー

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 ……という予想は楽観的過ぎた。  俺はしばらく無言で運転をしていた。甲高い声のようなものに気付いて隣を確認すると、春田は背もたれに体を預けて歌をうたっていた。口は半開き、視線は虚空をさまよっていて、ヤバい感じしかしない。これで警邏中(けいらちゅう)のパトカーに見とがめられでもしたら、ふたりとも逮捕されるだろう。 「おい、歌うのやめろ」 「えー?」  春田はふわふわとした笑みを浮かべて俺を見た。 「みやもとぉ、俺今とっても気持ちいいー」 「あー、良かったな。とにかく静かにしよう、な?」  あはははと笑い声を上げて、春田は足踏みをする。全然伝わっていない。俺はアクセルを踏み込みたくなるのをぐっと堪えた。俺がおかしな動きをするわけにはいかない。 「ねーみやもとぉ。エッチしようよ」 「はあ?」 「すっごくしたくなっちゃった。何でもしてあげるからさあ」  交差点で赤信号に引っ掛かってしまった。春田はくねくねと不穏な動きをしている。俺はパトカーが通らないかとひやひやした。 「ねえ……」  春田は体を乗り出して抱きつくと、いきなり俺の唇を奪った。 「おい、ちょっ……」  舌が艶めかしく絡む。微かに甘い味がするのは例のクスリなのだろうか。 頭がぼうっとしてくる。まさかクスリの成分が効いてきたわけでもないだろうが……なんだか怪しい気分になってきて、春田の腰に腕を回していた。春田が艶めかしく息を漏らす。  クラクションの音で俺は我に返った。  慌てて春田を助手席に押し戻してハンドルを切る。車は大回りしながらなんとか流れに乗った。 「危ないだろ。何やってるんだ」 「宮本だって乗り気だったくせにい」  舌足らずな返答にイラッとしながら、俺は顎に流れ落ちた唾液を拭った。確かに春田に誘惑されて彼と寝てしまったことはある。春田に対して何の感情も持っていないはずだが、何故か物凄くハマって一晩中離れられなかった。多分、あの時も春田はクスリをキメていたのだろう。 「早くしようよ。車の中で構わないからさあ」 「馬鹿、借り物だぞ。カーセックスなんかしたら殺される」  春田は猫のように唸る。あの晩の記憶がどんどん蘇ってきて、心臓がばくばくと高鳴るのを感じた。 「じゃあさ、どっかホテル行こうよお」 「こんな時間に入れてくれるホテルなんてあるか?」  俺の懐具合は寂しいものだし、春田だって同じようなものだろう。我慢して事務所までたどり着けば……と思ったが、金を金庫にしまったり車を少し離れた月極駐車場まで停めにいったり、西方さんに報告も必要だし……やるべきことが山のようにあって、いちゃいちゃするどころではない。  それならいっそ、ホテルで二時間くらい休憩しまえば、大河内がなかなか来なかったとか渋滞に巻き込まれたとか、いくらでも言い逃れできるじゃないか。 「わかった、探してみるからさ」  とりあえず、無駄にうろついてガソリンを消費しないために、二十四時間営業の牛丼屋を見つけて、駐車場の隅に停車した。ここなら怪しまれることはない。俺はスマホを取り出してホテルを検索したが、画像からしてヤバそうだったり口コミ評価が異常に低かったりと不安な施設しか出てこない。でも、男ふたりがやるだけなのだから、ベッドとシャワーさえあればいいか。そうだ、コンビニでコンドームを買っておこう。 「おい、春田」  助手席に声を掛けたが返事がない。春田は体を丸めて寝息をたてていた。 「マジかよ……」  俺の体はすっかり火がついてしまってるんだが。春田を起こそうと肩を揺らしたが、クスリの効果で幸せな夢でも見ているのかうーんと声を漏らしただけで目覚めそうにない。  あんなキスしといて、なんで眠っちまうんだよ。  俺はエンジンを切って、後部座席から自分の鞄を取った。ドアを開けて空を仰ぐと、雨はすっかり上がり星が光っている。ひんやりとした空気が車内に流れ込んでも、春田は身じろぎもしない。子供のような寝顔を見ていたら、なんだか起こすのが可哀想になってきた。春田が酷い不眠で泥酔しないと眠れないうえに、悪夢にうなされて飛び起きるのを俺は知っている。  それなら、今日くらいは優しい眠りにつかせてやろう。  ……なんて格好つけてみたものの、自分の昂りをどうして良いかわからなくなって、俺は外に出て煙草に火をつけた。クスリどころか酒すらあまり飲まないが、煙草だけはなんとなく習慣で吸っている。旨いかどうかはよくわからない。白い煙がゆらゆらと闇に溶けていった。  牛丼屋のくせに仕込みでもしているのか、カレーの匂いが漂ってくる。カレーって、まあ外れはないよな。急に空腹をおぼえた俺は、一等星よりも明るく輝いている小さな店へと引き寄せられていった。
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