第2話 辺境伯

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第2話 辺境伯

 翌日、屋敷の侍女に起こされますがレアリスが居ないことを問われます。  私はレアリスには暇を出したことを侍女たちに告げました。レアリスが居ないと私には似合う服ひとつ選べません。侍女たちとさえ上手く意思疎通できない私は、何とか体裁を整えると父の部屋へ挨拶に向かいました。  ◇◇◇◇◇ 「あの……父上様……」  挨拶を交わした父はこめかみに手を当てたまま目を瞑り、難しい表情をしておられました。すでに事の顛末が父の耳に入っており、私には事実確認が行われたところです。 「ラヴィーリア……どうしてそう平然としていられるのだ……自分の行いを理解しているのか」  平然――と申されましても私はどうしてよいものか、その実困っていたのですが、父の前では微笑みを絶やさず落ち着いているよう期待され、そう振舞ってまいりましたので、他にどうすればいいのかわかりません。これがカルナ様の前であればどのような失態を晒しても受け入れてくださるのですが……。 「申し訳ございません……」 「お前は本当に理解しておるのか。レアリスに聞いた限りではロスタルの跡継ぎからも苦言を呈されていたというではないか」 「はい……」  実のところ聖堂にばかり居た私には、人との触れ合いというとせいぜい幼い子供たちや飢えた人々に施しを与えるくらいが精一杯だったのです。同じように異性の学生と接していたところ、距離が近いとカルナ様に告げられました。かといって距離を取ると、彼らはそれを聖女然とした振る舞いと言って揶揄うのです。  レアリスを失った私にはこの屋敷には父以外に親しくしてもらえる者はおりません。母は幼いころに亡くなり、姉二人は腹違い。そしてその父からは外出の禁止を命じられたのです。  私はカルナ様への謝罪さえ許されることなく過ごしました。手紙という手段もございましたが、レアリスの居ない今、手紙を託せるのは屋敷の侍女しか居りません。何度も送る手紙には返事さえ届かず、本当に手紙がカルナ様の元へ届いているのかと疑心暗鬼になるばかりでした。  ◇◇◇◇◇  ある日、私の様子を伺いに学友のティモレ様が訪ねてこられました。ティモレ様はドバル家の確か八男で、魔術師の祝福を得ておられ、学び舎でその修練を積んでおられると聞いております。私はこのような状況で、優しく声をかけてくださったティモレ様に感謝しかございませんでした。 「――ですので何とか、カルナ様へ取り次いでいただく手段が無いかと……」 「君の気持はよくわかった。まあ、僕なら何とかできないこともない」 「本当ですか!?」 「ああ。ロスタルとはあまり仲は良くは無いが、方法はある」 「では、何卒――」  ティモレ様は差し出した私の腕をぐいと引き寄せると、もう片方の手を私の腰に回してきます。 「なっ!?」 「王子とさんざん遊んだんだろう。言ってたぞ。お前は押しに弱いと」  私は侍女に助けを求めますが、彼女らはレアリスと違い平民です。戸惑いはするものの、止めに入るほどの行動力はありませんでした。私は生まれて初めて悲鳴をあげました。普段、大きな声など出したことのない私の悲鳴は傍から見ると滑稽に見えたことでしょう。それでも、その悲鳴は運よく父の従士の耳に入り、事なきを経たのです。  ティモレ様は体裁を保つようにまるで私が誘ったかのような言い訳をしながら部屋を逃げ出していきました。  私はそもそも男を部屋に上げたことについて、従士には苦言を呈され、父には叱られました……。  ◇◇◇◇◇  またある日、父に呼び出されました。父は大きなため息をつきながら、私の行く末について教えてくださいました。つまりはカルナ様との婚約を解消された私を、ちょうど王都に滞在しておられる東の辺境伯様が貰ってくださると言うのです。  私は父に願いました。カルナ様への手紙には既にしたためておりましたが、どのような形でもいい、身分でもいい、カルナ様のお傍において欲しいと。その為に私を他にやらないで欲しいと。  ですが父はそのようなことはできないと、そしてすぐに辺境伯様に会いに行くようにと告げられました。  ◇◇◇◇◇  私は屋敷の侍女を連れ、東の辺境伯様のお屋敷を訪れました。  辺境伯様のお屋敷は王都ではあまり大きくない屋敷のように見受けられ、内装も大変質素でいらっしゃいました。東の辺境領は魔王との戦いに晒されるため、かの地の武人は皆、質実剛健を体現したような者ばかりと聞き及んでおりました。そして目の前にいらっしゃる辺境伯様もその例に漏れない立ち姿でした。  辺境伯様は恰幅がよく、一見すると肥え太られているだけにも見えますが、そうではありませんでした。彼の腕は丸太のように太く、王都においても傷だらけの鎧下を纏い、大刀を佩き、長い口髭を蓄え、その目は猛禽のように鋭い眼光を放っておられました。そして臭い――王都には豊富な水と湯があり、恐ろしい病を退けるためにも湯浴みが薦められ、そうでない場合でも香を纏うのが一般的でした。しかし彼は獣のような臭いを放っておりました。 「むっ。すまぬな。魔鉱が採れる癖に居城には風呂などなくてのう」  魔鉱とは水道や湯を始め、貴族たちの不便の無い生活を支える魔力を蓄えた建材と聞いています。それらを採取できるのが東の辺境の地でした。そして私は表情を崩してしまっていたようです。非礼を詫び、改めて挨拶を交わします。 「いちいち気にするな。それに辺境に住めばお主も変わらぬ臭いになるわ」  辺境伯様はからからと大声をあげてひとしきり笑うと、顔を近づけ値踏みするように私をみます。いくら私でも、さすがに一歩下がってしまいました。 「ぬし、年は幾つになる?」 「じゅ、十四です」 「年よりもよほど子供に見えるわ。それでよくあの王子を誑かしたのお」 「そ、それは……」 「まあよい。まずは靴を脱いで見せよ」 「えっ? はっ?」 「靴を脱いで見せよというのだ。それから長靴下も」 「ええっ」  私たちの常識では、人前で、それも女性が靴を脱ぐなどとても恥ずかしいことなのです。レアリスにも小さい頃から注意され、私でもその常識は身についておりましたし、ましてや人前で素足を晒したことなどありません。  辺境伯様の鋭い目が私を睨みつけます。  私は椅子に座ると、恥ずかしいのを堪えてブーツの紐を解いていきます。  やがて片方脱ぎ終わる頃になると、ぽろぽろと涙が溢れ出てしまいました。 「ああ、わかったわかった! もうよい、もうよい!」  辺境伯様は何故か突然そのようなことを言い出し、私の手を止めます。 「履かせてやれ」  そう、私の共の侍女に命じられました。  辺境伯様は髭をぼりぼりと掻くと――。 「ぬし、捨てられた婚約者に未練があると言っておったな」 「父が申しましたか」 「ああ」 「申し訳ご――」 「それはよい。まあ儂もな、王子を誑かしたというのでもう少しこう、色香の溢れ出る女を期待しておったのだが――」  辺境伯様は何やら両手で豊満な女性でも撫でるかのような滑らかな仕草をみせます。 「ま、貧しい体で申し訳ございま――」 「よいよい。まだおぬしは体ができておらぬだけだ」 「何年かのちにはきっとお気に召すよう――」 「それも要らぬ。儂は現物取引しかせん。女を育てる趣味は無い」  私は行く末の不安を感じました。このまま彼の地で誰にも愛されることない憐れな妾として生きることになるのでしょうか……。 「まあ責任の一端は儂にある。――ともかく、茶菓子を食ったら一度、公の所へ戻れ」 「は、はぁ……」  辺境伯様に勧められたお菓子は林檎を干したもののようで、甘酸っぱくほんのりお酒の香りがしました。また、茶菓子などと言っておられましたが、杯には茶などではなく、林檎酒を薄めたものが入っておりました。酸味のある林檎酒に甘い干し林檎がとても合っていました。  辺境伯様は林檎酒を薄めずに飲んでおられました。この辺りのお酒は半発酵の炭酸の残る酒を魔法の瓶に詰めたものが好まれましたが、薄めずに飲むとかなり酔いが回りやすいはずです。それを辺境伯様は平気な顔で何杯も飲んでおられるのです。  屋敷に戻った私には後日、辺境伯様からの婚姻の断りの知らせと詫びの品が贈られました。  そしてさらに何日か後、私は運命を決定付ける知らせを受け取ることになりました。  ◇◇◇◇◇ 「ラヴィーリアには首輪をつけて貰おう」  訪れた先で私は、想像もしていなかった言葉を告げられたのです。
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