ベンチ

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 「はあ、終わったなあ・・・」  自らが通う高校の名が冠されたバス停の前で、ベンチに座っているヨシノリは大きく息を吐くようにその台詞を口にする。  「改めて言うこと?わざわざ・・・」  その命尽きるまで。強い意気込みすら感じさせるセミの鳴き声響く7月中旬。強烈な陽射しと入道雲が生み出す猛暑日に辟易した様子で隣に座るユウカが、手持ち扇風機を顔に当てながらヨシノリの台詞に反応する。  「小学生から始めて中学、高校と続けてきた野球・・・俺の人生の、睡眠の次くらいには多くの時間を捧げた野球・・・そんな野球をマジになってやる日々は、この前の試合で終わったんだ・・・まだ数日しか経ってない訳だし、多少は感傷に浸りたくもなるだろ。」  何もせずとも湧いてくる汗を、首から下げたマフラータオルで拭うヨシノリ。度重なる洗濯によって色褪せたそのタオルは、ヨシノリが所属していたリトルリーグのチーム名が書かれている。  「・・・それだけの時間を費やして、行き着く先が公立校の六番バッターね・・・随分大層な努力だこと。」  暑さを疎ましく思う表情のまま、ユウカはさらりと毒を吐く。  「強豪私学ひしめくK県でベスト16に入る公立の雄で、エースナンバーを背負う六番バッターな・・・大事な部分を編集で切るなよな。」  「はあ、早くバス来ないかな・・・」  ヨシノリの訂正に一瞥もくれず、ただひたすらにこの灼熱を抜け出すための救世主到来を待ちわびるユウカ。そんな態度にヨシノリは呆れつつも、いつも通りであると特別気に留めるようなこともなかった。  「・・・あんた、これからどうするの?」  「え?」  普段滅多に他人へ質問などしないユウカから、珍しくヨシノリへ会話のボールが投げ込まれた。  「小学生の頃から馬鹿みたいに打ち込んで、高校で初めて野球部に入ったと思えばストライクとボールの違いも知らなかった私に無理矢理マネージャーをやらせて、挙げ句最悪でも最高でもない、ベスト16で優勝候補に負けるという一番中途半端な結果で最後の夏を終えた・・・そんなあんたに、これからのことを聞いてるの。」  「・・・相変わらず悪意に満ちた表現だな・・・」  ヨシノリとユウカは小学校に入る前からの知り合い、俗に言う幼馴染というやつであった。活発でやんちゃ坊主であったヨシノリが大人しいユウカを無理矢理あちらこちらに連れ出すという構図が変わることなく、今まで続いてきている。  「これでもオブラートに包んでいる方・・・野球部のマネージャーなんてやったせいで、こんな馬鹿みたいに暑い日に毎日グラウンドに立たされて、真っ黒に日焼けして、下品な男どもの中に晒されて、さらに野球部マネージャーって肩書きだけで人を判断する連中からはあることないこと好き勝手言われる・・・ヨシノリからのお願いとは言え、流石に断るべきだった・・・」  「ははは、随分根に持ってんだな。」  「笑い事じゃない・・・」  暑さへのヘイトをほんの少し違う方向へ向け始めたユウカが、話の筋をもとに戻す。  「今日、あんたが本当に夏期講習に参加するとは思ってなかったけど・・・大学受験する気なの?」  「ああ・・・あ、反対のバス来た。」  駅と駅の真ん中にある高校からは、どちらの駅に出てもかかる時間は大差ない。時間も見ず横断歩道を渡ることを横着した二人は、まだしばらくこの暑さの中に晒されることになる。  「どこ受けるつもり?」  「お前と同じ大学。」  ユウカの問いに対し、さも当然と言わんばかりの素早いレスポンスを示す。  「・・・あんた、私が行きたい大学知ってるの?」  「いや、知らない。」  先程の問いと同様、その迷いのない回答に対してユウカは不機嫌そうな表情を崩さない。  「私が行くって理由だけで適当に学校選んで、あんたはそれでいいの?」  「もしかして俺の学力なめてる?中学三年間、野球しかしないでこの進学校に余裕で合格して、高校でも成績は上位をキープしてんだぜ?俺と同じ高校に通うために死ぬほど努力していたお前が行きたい大学くらい、俺なら簡単に行けるだろ。」  「そういうことじゃない・・・あと死ぬほど努力なんてしてないし・・・」  ユウカは扇風機を持つ手と逆の手で膝の上に置いていた自らの鞄を探り、取り出したハンドタオルで自らの顔を隠すように汗を拭う。そしてしばらくの沈黙の後、少し勢いを失ったトーンで再び語り出す。  「・・・だから、あんたみたいなその気になればなんでも出来る人が、私みたいな人間に合わせて物事の決断をしたら、凄く勿体ないんじゃないかって・・・」  その言葉には普段の刺々しさを感じず、何事かとユウカに視線を送るが、ちょうどタオルで表情を見ることが出来ない。  「・・・プロ野球選手になれる人って、どんな人かわかる?」  「・・・なに、その質問。」  「いや、わかるなら教えてもらおうと思って。」  「は?」  思わずこちらに視線を送ってきたユウカに対して、ヨシノリは気取らない、普段通りの陽気な笑顔を見せる。  「冗談だよ・・・いいか、プロ野球選手になれる人ってのはな、野球を始められる人間なんだよ。」  「・・・は?」  頭上ではてなマークを継続させるユウカと、その表情を待ち望んでいたかのように意気揚々と話を続けるヨシノリ。  「どれだけの早い球を投げられるポテンシャルを持っていても、どれだけ遠くへ飛ばすポテンシャルを持っていても、野球を始めない限りその才能が花開くことはない。誰よりも優れた野球の才能を持ち合わせた人間がいたとしても、野球を始めるって一歩目を踏み出さない限り、他の誰にも野球で勝ることは出来ない訳だ。無論野球に興味がなくてやらない人間に、お前にはとんでもない才能があるんだ、なんて説いた所で、ありがた迷惑以外の何物でもないがな。」  「なんかだらだら喋ってるけど、結局何が言いたいの?」  「想像力が足りないなーそんなんで翻訳家になんてなれるのか?」  突然自分の将来の夢がヨシノリの口から出てきたことに驚きつつも、表情の変化を最小限に留め、この灼熱の中涼しい顔を心掛けるユウカ。  「・・・無茶苦茶な文法や意味不明な例え話なんて、翻訳出来なくて当然でしょ。」  「無茶苦茶な文法ではないだろ・・・まあ要するに、どれだけ才能がある人間でも、なにもしなければその才能が花開くことはない。目標に向かって努力をする人間は、努力をしない才能あり人間よりも優れてるって話だ。」  ヨシノリの言葉を聞いてしばらくした後、ユウカはヨシノリから視線を外し、45度ずらして自分の目の前を見つめた。  「・・・あんたは自分が私より何事でも才能があるって言いたいのね。」  「ははは、やっぱりわかってねえな。」  当初の構図、テンションに戻ってきた二人の間で、ヨシノリは言葉を続けた。  「俺の面倒を見るのは、俺自身よりお前の方が何枚も上だ。だから同じ大学に行くまで、そして行ってからもちゃんと面倒見てくれよな・・・これからもよろしく。」  「あんた、今の話フェミニストに聞かれたぶん殴られているよ。」  「え?なんか変なこと言った?」  「てか、バス来るの遅すぎでしょ・・・いつ来るの・・・」    
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