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夕方まで眠ってのろのろとベッドから降りると、部屋が冷えきっていることに気が付いて、八帖のワンルームを暖めるには十分の、小さな電気ヒーターのスイッチを入れてポツンと座り込む。
その拍子にポケットの中でカシャと音が鳴って、ごそごそと取り出すと、それは将継さんの家の住所が刻まれた猫の革細工がついた合鍵で。
(これ……奥さんの大切な形見なんだった……返さなきゃ……)
郵送で送ろうかと思ったけれど、何だかそれは将継さんとの縁が完全に切れてしまうようで、ギュッと握りしめて(帰りたい……)と思ったら、また涙がこぼれた。
早く将継さんのことは忘れなくちゃいけないのに、忘れようとすればするほど、彼の綺麗な瞳だとか、大きな手のひらだとか、抱きしめてくれる腕の温かさだとか、そんなものばかりが思い出されてしまう。
今だって、本当なら将継さんがお仕事から帰ってきて、〝ただいまのキス〟をしてもらえるはずだったのに。
恋人として、彼のそばにいられるはずだったのに。
スマートフォンに将継さんから何かメッセージが入っていないかどうかが、気になって仕方がない。
(もし……引き止めてくれても、もう会えないけど……)
〝もう会えない〟……その現実が辛くて苦しすぎて、将継さんを失ったらどうやって生きていけばいいのかとすら思う。
ただただ、涙が止まらない。
どれだけ泣けば干からびてくれるんだろうと、自分の身体を憎らしく思うくらい、瞳の水源は壊れてしまったかのように、生温い液体が絶えず頬を濡らし続ける。
(泣いてたって、もう将継さんには会えないんだから……早く忘れなきゃ……)
ふと、窓の外を見たら外は土砂降りの雨。
(僕の心の中みたいだ……)
何の目的もなく、ただ頭を冷やしたくてフラフラと玄関の扉を開けて外へ出ると、瞬く間に身体が激しい雨粒に打たれてずぶ濡れになっていくけれど、将継さんとの記憶は溶けてくれない。
もう僕に傘を差し出してくれる人は誰もいないのに。
(バカみたい)
びしょびしょに濡れた身体と瞳で蹲ったまま、(どうか将継さんは濡れないで)と願ってしまう僕は、彼のことを忘れることなど出来ないんだと再確認しただけだった。
(どうすれば記憶から消えるかな……)
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