52.大人の事情【Side:十六夜 深月】

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52.大人の事情【Side:十六夜 深月】

 僕はいま頭を悩ませている。  というのも、電話をしに行くと言った将継(まさつぐ)さんに渡された簿記のテキスト本の内容が、さっぱり理解不能なのだ。 (中卒の僕にはハードルが高すぎる……)  内容が頭に入ってこなくて、チラチラと事務所の扉のガラス越し、電話をしている将継さんと目が合うたび彼はにこやかに微笑んでくれるから、僕も笑みを返すけれど。 (将継さんの電話の相手、やっぱり相良(さがら)さんだよね?)  昨夜、電話が掛かってきていた時に『込み入った話になるから後で折り返す』と言っていたけれど、一緒に眠って一緒に起きて一緒に職場に出勤する今まで将継さんは一度も電話を掛ける隙はなかったはずだ。 (母さんも来てたし……)  だから、いま電話している相手は絶対に相良さんなのだ。  危ないことはしないし、僕を残してどこかに行くつもりもないと言ってくれたけれど、先生からの脅しを『心配ない』と言うからには、きっと将継さんと相良さんは何らかの行動を起こすのは間違いない。  昨夜、僕の〝貞操の危機〟に(ひん)していた時、相良さんからの電話に出た将継さんは、『何?』と、何かイレギュラーなことが起こった反応をしていた。 (二人……何の話してるんだろう……っていうか!)  あの時、相良さんから電話が掛かってこなかったら僕は本当に〝貞操の危機〟で、将継さんに最後までもらわれてしまっていたのだろうか……。  そう考えたら、たちまち恥ずかしくなってきて、(むしろ、あのまま流されて最後までもらわれていても僕は平気だったかもしれない……)なんて思うと、途端に将継さんを想う気持ちが時間を重ねるごとに募っていることに真っ赤になってしまった。 「深月(みづき)」  思想に(ふけ)っていた僕に突然声が掛かるから、思わず「ひっ!」と声を漏らして背筋を伸ばすと、電話を終えて戻ってきたらしい将継さんは不思議そうな顔で僕を見つめてきた。 「どうした? 何そんな驚いてんだよ?」 「なっ、な、なな何でもないです!」 「……顔、真っ赤だけど? まさか熱とかねぇよな?」  ――将継さんにお熱なんです! (なんて言えるわけがない……)
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