60.伝わらない言葉【Side:十六夜 深月】

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60.伝わらない言葉【Side:十六夜 深月】

 誰かが、優しく涙を拭ってくれている。  右手を握って頭を撫でてくれている。  再び僕の目の前に現れた義父(とう)さんは、あの頃と変わらないギラついた瞳で僕をまた獲物にしようとした。  優しかった母さんは人が変わってしまったように、僕に冷たい言葉を浴びせ、役立たずだと罵ってきた。  まぶたを開けなくたってわかる。  そばにいてくれているのは、そんな僕を支え、いつだって優しく包み込んで、優しい言葉をくれる愛おしい人だ。  〝その人〟に出会うために、ゆっくりまぶたを開ける。 「深月(みづき)!」  彼を瞳に宿したいのに何だか焦点が合わないのは、絶えず涙がこぼれて視界が霞んでいるせいだろう。 「将継(まさつぐ)さん……」  握ってくれている右手に力を込めて握り返したら、彼は安堵したように優しく僕の前髪を掻き分けた。 (キスがない……)  ……なんて、少しだけ寂しく思ってしまった理由はすぐにわかった。 「おはよう、深月ちゃん」 「さが、らさん……?」  ノロノロと半身を起こすと、また病院のベッドに寝かされていたようで、将継さんがそばの丸椅子に、相良(さがら)さんは僕のベッドの足元に腰掛けていた。 「大丈夫か? 深月吐いちまって、一度着替え取りに家に戻ったから相良に見守っててもらったんだ」 「すみません……ありがとう、ございます」 「二人の目覚めのキッスの邪魔してごめんな? 深月ちゃん」   パチッとウインクして(うそぶ)く相良さんに頬を(あか)く染めつつ「あの……義父(とう)さんと、母さんは……?」と二人を交互に見遣る。  何か言いにくそうにしている将継さんに代わって口を開いたのは、相良さんだった。 「長谷川(はせがわ)が戻ってきたらすぐ帰ろうと思ったんだけど……深月ちゃんに言いたいことがあってさ」 「……言いたいこと、ですか?」 「俺も、ガキん頃に虐待されてたんだ。そん時に気遣ってくれたのが長谷川でな。深月ちゃんは当時、頼れる人間が周りにいなくて辛かったよな? ――でも、さ。今は長谷川がいる」  相良さんの言葉に、将継さんが握ってくれている右手に力を込めてくるから、僕もギュッと握り返す。 「もうちぃーと、長谷川頼れや。深月ちゃんが思ってる以上に、コイツは深月ちゃんにベタ惚れだぞ? 一人で何かしようとしないこと。俺ら全力で深月ちゃんのこと守るから……何があっても乗り越えられる強さ、深月ちゃんは持てるか?」  ――僕は弱い。  頷いた瞳がまだ乾かないくらい僕は弱い。  だけどそれでも、相良さんの言葉は力強かった。
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