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ケーキを抱えて自分の薄汚れたアパートに帰宅して、郵便受けから鍵を取り出して部屋に入る。
よくよく考えてみたら、あのままどこかで時間を潰して長谷川さんの家に戻っていたら、この薬を見られてしまうところだった。
(こんなの絶対に知られたくない……)
安物の折り畳みローテーブルの上に薬とケーキを置いて、簡素なベッドに横になろうとしたのだけれど、でも――。
彼の服を着たまま万年床に寝そべるのは気が引けて。
これまた安物の、僅か八畳のワンルームのアパートに敷くにも小さすぎるラグの上に胡坐をかいて座り込む。
いつもこの部屋で寝そべって空虚な毎日をやり過ごせていたはずなのに、少し触れてしまったあの温もりが何だか恋しくて。
スマートフォンを取り出して、長谷川さんの電話番号を表示させてみる。
時計の時刻はまだ十四時を少し回ったところ。
合鍵を渡されているんだから、いつでも戻っていいってことなんだろうけれど、やっぱり僕と長い時間一緒に過ごすのは彼にとって苦痛かもしれないし、僕も突然戻るのは怖い。
震える指で長谷川さんの電話番号をタップする。
『もしもし? 深月?』
たった数コールで聴こえてきた彼の声に、思わずスマートフォンを落としそうになって、慌てて片手で肘を支える。
「あ……あの、深月です……。えっと……用事が終わって……。それで……何時にお邪魔したら……いいかなって……」
電話の向こうで長谷川さんが愉快そうにクックと喉を鳴らした。
『何のために合鍵を渡したと思ってるの? 深月の好きな時に戻ってくりゃーいい。もちろん今すぐにでも一向に構わねぇーし、私も今日は仕事が休みだからね。何なら一日中キミの相手が出来るぞ?』
「これから……戻っても、迷惑じゃ……ないですか?」
また、彼は喉を鳴らして『迷惑だったら合鍵なんて渡さねぇわな?』と笑った。
僕は、テーブルの上のケーキを見つめて。
――長谷川さん、喜んでくれるかな?
そんな、他人に小さな期待をしてしまっている自分が、まるで自分じゃないみたいで戸惑いを感じると共に胸が高鳴った。
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