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――『将さんはお熱が出ると困ったくらいの甘えん坊さんになりますね』
私が体調を崩したとき、横になった私のすぐそばへひざをついた咲江が、額の温度をひんやりとした手のひらで測りながら、『熱、まだ高そうですけど、お粥さんなら食べられそうですか?』と問いかけてきたことがある。
妻からの優しい声音に小さくうなずいた私を見て、『では、すぐに支度してまいりますね』と立ち上がろうとした彼女を思わず引き留めて……私は『それよりも膝枕をして欲しいんだが……』と強請った。
『もぉ、本当に仕方のない人……』
そう苦笑しつつも、温かな瞳で私を見下ろした咲江は、私のしたいようにさせてくれて……。
彼女の太腿の上でうっとりとまぶたを閉じた私の髪の毛を、咲江が小さくて華奢な手で柔らかく何度も何度も撫でてくれた。
この、切ないくらいに甘やかな記憶の中の愛しい女性は、この世にはもういない――。
咲江が死んでしまってからは、体調を崩しても誰にも頼ることなんて出来なかったから、一人小さく身体を丸めて不調が過ぎ去るのをただひたすらに待つだけになった。
恐らく一声掛ければ喜んで看病に来てくれる友人や知人は居たはずなのにそんな気になれなかったのはきっと、咲江との思い出を他者からの看病で無粋に上書きされたくなかったのだ。
だからと言って、一人で辛い身体を持て余すのが心細かったのは確かだ。
咲江のことを思いながらうずくまる夜は長くて辛かったから――。
そんな時間を過ごすのが嫌で不摂生しなくなったと言ったら、咲江は『将さんがよく体調を崩していたのは私のせいだったのですか?』と、困った顔をして笑っただろうか。
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