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4仲間
「サド、さんは」
病院の廊下を歩きながら、明寿は自分の前を歩く人物に話し掛ける。
「他人の性別を気にするよりも、ご自身のことをもっと気にかけたほうがよろしいかと」
佐戸は明寿の聞きたいことが分かったのか、質問の途中で遮られる。確かに、佐戸の言うことは正しい。正しいとは思うが、この短時間で起こった非現実な出来事に明寿の頭はパンク寸前だった。
しばらく、無言の時間が続いた。廊下を歩く二人の足音だけが静かな廊下に響き渡る。廊下は薄暗く、夕食に呼ばれたわりに誰も歩いていない。5分程歩いていたら、エレベーターにたどり着く。
「食堂は最上階になります」
佐戸と明寿はエレベーターに乗り込んだ。エレベーターのボタンは10階までとなっていた。佐戸はまようことなく最上階の10階のボタンを押した。明寿がいた病室は8階だったため、あっという間に最上階の10階に到着する。
「流星君のように、【新百寿人】としてこの病院に運ばれてきたのは3人。皆、流星君と同じ記憶障害となっていますが、仲良くしてくださいね」
エレベーターを降りてすぐの場所に食堂が位置していた。いきなり開けた空間で廊下とは違った明るい場所に到着して、ようやく明寿は安心する。廊下の薄暗い感じが以前いた高齢者施設の廊下を思い出させて不安になっていた。
(彼らが私と同じ、記憶喪失……)
食堂での食事と聞いて、もっと大人数と一緒に食事をするのかと思っていたが、違うようだ。明寿と同じ【新百寿人】だという人物が3人。女性2人と男性が1人でそのほかに彼らのために夕食を準備する人間が1人。同じ【新百寿人】同士の交流というのだから、もっと多くの人がいるかと思っていた。
「【新百寿人】は100歳の誕生日によって生まれます。今回はたまたま100歳になる誕生日の人が少なかったようです」
佐戸は人の心を読む力でもあるのだろうか。明寿が考えていることを先回りして答えてくれた。
「皆さんの新たな生活を祝って。乾杯!」
明寿が席に着くと、ほかの病院スタッフが明寿の前に食事の準備をしていく。佐戸はその間に明寿たちから離れてしまった。
佐戸はその後、食事が始まっても明寿たちの元に戻ってくることはなかった。佐戸ではないスタッフが祝いの言葉を口にしたが、明寿もほかの【新百寿人】もだれ一人、うれしそうな顔をしていない。不安そうに辺りをきょろきょろと見わたして落ち着きがなかった。スタッフの男性がグラスを掲げたことで、仕方なく明寿もテーブルの上の水が入ったグラスを手にもって祝杯する。明寿に合わせて【新百寿人】たちもおずおずとグラスを宙に上げた。
ぐうう。明寿以外の誰かの身体が空腹を訴えた。明寿はその音に少しだけ緊張が和らぐ。人間の生理現象は止めることが出来ない。
(彼らも生まれ変わったとはいえ、人間ということか)
佐戸の言う通り、彼らが明寿と同じ【新百寿人】であるという確証はない。とはいえ、彼らもまた明寿と同じように不安そうな瞳をしていた。同じように不安を抱えた人間がいたことに少しだけ親近感がわく。
「先に食事をしてしまいましょうか」
スタッフの男性の言葉で明寿たちは食事を開始する。料理のメニューはオムライスにサラダで、高齢者施設では和食が多かった明寿には新鮮だった。そして、明寿は若さのすばらしさを実感することになる。
(若いころの嚥下能力でこんなに感動するとは思わなかった)
廊下を歩いているときにも感じたことだが、若い身体とは何て素晴らしいものか。高齢になり、身体のあらゆる機能が衰えていたことが嘘のようだ。ただ歩くだけでも足腰が痛んだ少し前までの自分が信じられない。食べ物を飲み込むのが大変だったのに、今では簡単に呑み込め、いくらでも食べられる気がした。
明寿は自分の身体の変化に感動していたが、明寿以外の【新百寿人】の表情は暗いままで、まるで葬式会場のような陰気さが漂っていた。
「食事も終わったことですし、軽い自己紹介でもしましょうか。私はこの病院のスタッフの前田と言います。では高橋さんからどうぞ」
「高橋です。よ、ヨロシクオネガイシマス」
「伊藤です。ヨロシク」
「三浦と申します」
食事が終わると、ようやく簡単な自己紹介の時間が設けられた。苗字だけの簡単なものだが、それでも明寿にとっては名前が分かっただけでもありがたい。
「白石です。エエト、ヨロシク」
彼らには聞きたいことがたくさんあったが、明寿が彼らに質問することはなかった。
(ここで怪しまれるのは良くないか)
下手な質問をして自分だけ記憶があるのはバレてしまってはまずい。病院に目を付けられても困る。今はおとなしくしていたほうが無難だと判断して、明寿は彼らと同じように苗字だけ名乗ることにした。
「食事は終わったようですね。おや、完食したのは流星君だけですか。ダメですよ、しっかりと食事をとらないと。食事は生きる源です。せっかく若い身体に生まれ変わったんですから、若さを謳歌しないと」
全員が食事を終えたタイミングを見計らって佐戸が食堂にやってきた。明寿がテーブルに目を向けると、確かに明寿以外の皿にはオムライスが半分以上残っていた。
(記憶があってよかったのかもしれない)
自分が何者か、今いる場所がどこかまったくわからない状態でいるよりも、突然、若い身体に変化してしまったとわかった方がまだましなのだろう。
苗字だけだが自己紹介を終えた明寿たちは、それぞれの個室に戻るのだった。
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