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家政婦のケイ
タイトルにこそあるが、なにも宝条家の家政婦になった身に覚えはない。しかしそれに近い存在であることは俺も認めざるを得なかった。
俺、桜木家と、宝条家には長い付き合いがあった。それは遡ること十五年前。俺がまだ小学六年生だった頃の話。
波瑠は突如として俺の前に現れた。初めて見る誕生したばかりの新しい命に俺は感じたことのない高揚感を覚えた。
一点の穢れもないその瞳に強く吸い寄せられるように、出会ったその日俺は飽くことなくずっと波瑠を見つめていた――。
俺の母、桜木美咲と彼女の母、宝条皐は元々古い知り合いだった。正確には助産師とそのとき対応した妊婦という関係だ。それがどうして十五年経った今でも交流があるのか。
それは宝条家の家庭環境にあった。
波瑠を身籠った皐さんが臨月を迎えた頃、波瑠の父親は不慮の事故に遭い他界した。元々身寄りがなかった皐さんは心身ともにひどく疲弊し、とても危うい状態が続いていたそうだ。そんな中付きっ切りで支えていたのが俺の母だった。
当時皐さんは十八歳で、俺の母は三十五歳。十七歳という年の差故、俺の母は娘のように甲斐甲斐しく皐さんの世話をしたそうだ。
だけどそれにはもう一つの理由があった。その理由とは俺の姉と皐さんが同じ年齢だということ。母はおそらく他人事のようには思えなかったのだろう。
産後ケアを終え退院したあとも尚、二人の交流は続いていた。偶然家が近所だったということもあり、自ずと親睦は深まりそれはいつしか本当の家族なような関係へと進展していった。
『あ、皐さん! 来てたんだ』
『渓くん。お帰りなさい』
傍にはもちろん波瑠もいて。俺は会えなかった時間を埋めるようにすぐに駆け寄った。
『皐さん……赤ちゃんってすごいね。なんでこんなにかわいいんだろう』
『あらあら、波瑠も嬉しそうにしちゃって。そうね……それはきっと私とあの人――真守さんの子供だからね』
ふふふと皐さんは笑った。
俺の知る限り皐さんはいつも笑顔だった。絶望の淵にいた昔、俺の母にたくさんお世話になったのだと、命の恩人なのだと皐さんに聞いた話からでもまったく想像できないほどだった。いつも優しくニコニコして、つらい過去を背負っているなんてそんなことを微塵も感じさせない明るさで、俺にはそんな風に見えていた。母親という存在の偉大さを子供ながらにも俺は皐さんから感じていたのだ。
『ねえ、皐さん』
『どうしたの?』
『俺も波瑠の面倒みるから』
『え――?』
『だって俺たちもう家族みたいなもんでしょ!』
『渓くん……ありがとう』
『任せてよ!』
* * *
あれから十五年経った今、波瑠と皐さんの住むアパートで、偶然にも空いた隣の部屋に俺は一人暮らしをしている。要はお隣さんだ。
波瑠は……わからないが、皐さんは当時至極喜んでくれた。俺のことを本当の息子のように愛情たっぷりに接してくれた皐さん。女手ひとつで波瑠を育ててきた苦労は想像に容易い。
彼女ももう三十三歳だが、遊びたい盛りをすべて波瑠に捧げて奔走してきたのだ。
だから少しでも何かしてあげたい、その思いは大人になるに連れて自然と募っていった。
「やだ、渓くん。今日も悪いわね。でもホント美味しいんだもん。自分で作るのが嫌になっちゃうわ」
「うん。けーちゃんって、ホント料理上手だよね。いいお嫁さんになれるよ。……って、相手がいないんだった」
「ああ、そう。そんな可愛くないこと言う波瑠には食後のデザートはやらない」
波瑠を養うため、また波瑠の将来のために皐さんは仕事に勤しんだ。土日問わず、時間も問わず働き続けた。さすがに夜の仕事に手を出そうとしたときは止めたが……。
だから俺は時折、作り置きをお裾分けしたり、皐さんが仕事でいない日には波瑠と一緒に食卓を囲んだ。
俺がこれほど尽くしてしまうのも仕方がない。二人はもう俺にとって家族同然の大切な存在なのだから。
幸せにならなければ、なってもらわなければ困る。そのためなら俺はなんだってしたい、今もその気持ちに変わりはなかった。
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