思い

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思い

帰宅する地下鉄の中、眠気と戦いながら、 鞄を前に抱え、ぼんやりと考えていた。 花火大会・・・ 浴衣・・・ はぁ。もう20年はご無沙汰だわ。 23歳で結婚して、 わずか4年で終止符を打った結婚生活。 旦那の浮気、借金、ギャンブルに酒、 生活は破綻、幼い子供の親権を貰って離婚した。 まだ20代だった文香には大き過ぎる ダメージだった。 私の20代と30代はどこに置いてきたのだろう 地下鉄の窓に映る自分の顔は、もう若くない。 疲れ切った中年の顔がぼんやりと映っていた。 どんなに人を好きになったって裏切られるに 決まっている。 自分以外、信じられるものなんかない。 再婚の縁談も断り続けてきた。 男なんて信じない それが古くなったガムテープが全く剥がれて こないかの様に文香の心の奥にはこびり付いていた。 "若さも色気も要らない" 女である事をわざと置いてきたのに・・・ 今更になって、若い子にあんな風に花火大会に 誘われるとは。 戸惑いながらも、 今週末に着る浴衣はどうしようか考えていた。 20代の娘の浴衣が似合う年齢ではない。 給料前だし… 地下鉄を降りると文香の住むマンションの近くには、リサイクルショップがある。 店の入り口には大きなポップに "短い夏を楽しもう!浴衣特集!" と書かれていた。 "よし、ラッキー" 並んでいる浴衣の色にため息が出た。 " やっぱり若い子向けばかり" 流行りのくすみがかったブルーにイエロー、 スモークピンク。 若い頃なら戸惑いなく挑戦した色や柄だが、 肌がくすみ始めた今、わざわざ、くすんだ色を 着るのは躊躇われた。 やはり、浴衣は諦めて帰ろうと出口に足を向けた時、店員が持って来た1枚に目が止まった。 「すみません。 そちらの浴衣、見せて頂けますか?」 そう言って手渡されたのは、 黒の地に万年青(おもと)の葉がベージュで 織られ、大きく空に向かって揺らめく葉の間には真っ赤な実がなっているものだった。 簡単に羽織ってみると顔のくすみもマシに見えた。 リサイクルショップに来た割には値段も見ずに 「それ、買います。下駄はどちらに?」 気がつけば、ちゃんと浴衣選びを真剣にしている自分に笑いそうになった。
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