疑い

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疑い

「先生、僕と2人で今週末の花火大会、 観に行きませんか?」 「ふへ?」 突然すぎる学生からの誘いに豆鉄砲を食らった 高梨 文香(たかなし ふみか)は返事とは思えぬ 声を上げた。 まさか、自分が派遣された救急救命士を要請する専門学校で男子学生から花火大会に 誘われるなどと思っても見なかったのだ。 ・・・どう考えても冗談だろう。 どうせこの男子生徒(ワルガキ)達が スマホでこの様子を撮影してSNSにでも 投稿し"若い男に本気になったババア" なんて書いて一心で こんな事をしているのだろうと呆れていた。 文香はバツ1の子持ち、それこそ花火大会が ある7月22日で41歳になる。 それが18歳の子供に誘われたからと付いていく なんてバカバカしい。 "花火大会にで行きたい" と誘われても冗談としか受け止められない。 「もう、冗談は分かったわ。気持ちだけ受け取っておく、ありがとうね。」 吐き捨てるように言った。 それでも伊東 晴斗(いとう はると)は 下校しようとしない。 クラスの外の廊下では晴斗の仲間達が "もっと、いけいけ!" と煽っているのが見える。 「廊下の君たちも早く帰りなさいね。 気をつけてね。じゃあ、また明日!」 晴斗は、まだ黙っている。 晴斗はどちらかと言うと普段から真面目な タイプで授業中も居眠りもせず、 かと言って、質問をする積極性もない。 目立つのはただ一つ、 身長が185cmと大きい。 実技練習の時の失敗が目立ってしまう割と 損なタイプだ。 命に関わる仕事に携わるのだから失敗は許されない。だから都合が良いと言えば都合が良い。 文香は声のトーンを落としてゆっくり言った。 「なら許さないよ」 派遣講師の文香は再来週7月24日の終業式を 以て、この専門学校を去る。 授業は残り、来週金曜の1回のみ。 「帰るわよ!」 今度は強めに言うと先に教室を出ようとした。 晴斗は文香が花火大会の誘いにOKと言うまで 避けようとはしないようだ。 ただただ真っ直ぐにこちらを見ている。 視線がジリジリと痛い。 「晴斗君、私をからかっちゃダメだよ。 私、あなたのお母様と同じ年位だと思うよ?」 晴斗は無言だ。 「私を誘うなんて、何かの罰ゲーム?」 「いや、、、先生、俺はそんなじゃない、、」 晴斗の顔は見る間に紅潮している。 暑さのせいではない。 泣きそうだと言っても過言ではない。 しかし、 シングルマザーの文香は苛立っていた。 子供の遊びに付き合っている暇はないのだ。 「 晴斗君、冗談じゃなかったらなんなの? 私と幾つ違うと思っているの? 18歳のあなたからみたら私はオバさんだよ?」 晴斗は無言のまま、 教室の狭い机と机の間の通路に立ち塞がる。 185cmは流石に大きい。 156cmの文香には壁だ。 授業を終えて冷房を切った教室は、 まだ7月だと言うのに気温が30℃に近い。 窓を全開にして開ける。 風はカーテンを靡かせて、髪を撫でていく。 それでもじんわりと汗が湧いてくる。 「新しいタイプの先生イビリなら、 通じないわよ!どいて!ここを通して。」 無理矢理、伊東晴斗の横を抜けると廊下で 待っているの仲間にも睨みを利かせた。 「あなた達も早く帰りなさい。」 晴斗の仲間の1人、リーダー格の長谷部が 文香に食ってかかる。 「先生!アイツ!本気なんです! 分かってやってください! ずっと、先生が4月に来た時から 先生の話ばかりで…」 文香は子供とは言え18歳男子に すっかり囲まれて恐怖感を覚えた。 仕方なく、ため息混じりに 「分かったわ…」 と、答えた。 男子グループ5人が一気に盛り上がる。 晴斗は真ん中で肩を叩かれたり、 頑張れよと言われたり、何ともにぎやかだ。 「・・・はぁ」 面倒くさそうな態度のまま、ため息混じりに 文香は聞いた。 「でぇー? いつ、どこに何時に行けば良いの?」 晴斗は張り切って 「22日の土曜、 地下鉄福平線の大島公園駅8番出口に 18:30!でお願いします。」 と、答えた。 「分かったわ。じゃ。22日ね。」 男子グループ達にすぐに背中を向けて、 片手だけで 「気をつけて帰りなね。」 と、手を振った。 晴斗の声で、 「先生、浴衣!浴衣で着て、来てください! 俺も着ていきます。」 もう色々と面倒だと思った文香は後ろ手の ピースサインだけだして、 振り向かずに教室を後にした。
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