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始まりの第1歩
人の顔が分からない。
産まれた時からそれが当たり前だったから、誰に何を言われてもピンと来ることはなかった。
自分が所謂、相貌失認、というものなのだと気付いたのは祖母だった。
両親は共働きで忙しく、優しい匂いのする祖母が好きでいつも何処にでも後ろをついて行っていた。
兄姉からは、祖母は怒ると怖いと言われていたが、自分には甘かったらしい。
自分にとって世界の中心だった祖母。
そんな祖母が震えながら自分を抱き締めて泣いていたのを覚えてる。
自分は良く覚えていないのだが、切っ掛けは四歳の時。
祖母といつものように歩いて近くのスーパーに買い物に出掛けた時だったらしい。
隣というには少し離れているものの、母方の姉、自分からすると伯母にあたる人に出会った時、自分はいつもと違う場面での出会いだったので、誰か理解することができなかった。
伯母さんは当時の事を振り返ると、その時は自分の事を礼儀は良いが物覚えは悪い子、位に思っていたらしいが、祖母は妙な胸騒ぎがして自分を連れて病院に連れて行った。
「この子は先天性相貌失認ですね。100人に2人と言われてますが、自分がこの症例を担当するのは初めてですね。」
難しい話を医者と祖母は続ける中、自分は看護師さんから絵本のような、クイズのような物に夢中になっていた。
珍しい症例に医者は誰が見ても分かるように少し興奮しているようだったが、反対に祖母の声は苦しそうな声音に変わって来ていることに気付いて「おばあちゃん大丈夫?」と声を掛けた。
祖母は「…大丈夫よ。…大丈夫。」と自分を抱き締めながら泣いていた。
家族が今まで、自分が相貌失認であると気付かなかったのは、身近に居る人の声や髪型、体型、服装で誰なのかを判断していたからだそうだ。
顔が分からないのか?目が悪いとかじゃなくて?脳に問題が?
その日の夜はそんな話で持ち切りだったらしい。
小学校、中学校と、相変わらず顔は分からないが、大きくなるに連れて親しい友人もできた。
高校生になっても、祖母の一週間に一度の買い物には必ずついて行っていた。
優しい匂いのする祖母。
大好きな祖母の声。
自分の世界の中心だった祖母。
そんな祖母が今日息を引き取った。
悲しかった。
風邪を拗らせただけ、と言っていた祖母は、肺炎になり病室で物言わぬ遺体になっている。
病室で見た祖母の顔には白い布が掛けられており、怖かった。
そこに居る何かは生きていない。
そんな強烈な何かを感じ取ったからだ。
大好きな祖母。
優しい声で色々と昔話を聞かせてくれる祖母。
そんな祖母は、ここに居るけど、もう居ない。
頬に流れる涙に気付いた時、何処からともなく風が吹き、祖母の顔を覆っていた布がひらりと宙を舞う。
僕はその時初めて気付いたのだ。
「…死体の顔は分かるんだな。」と。
自分の中で何かが壊れた気がした。
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