【世の中に甘いだけの話なんかあるわけない】

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「まぁこれから一緒に住むわけだし。仲良くやろうよ、柚妃」  ーーそうそう。一緒に住むわけだし、仲良く……。  そこまで頭の中で復唱し、わたしの思考は止まった。 「えっ!!!? 待ってどういうこと!?」  話が飛躍しすぎてついていけない。  確かに記憶の断片には、「住み込みの仕事を紹介してくれる」という彼の言葉が蘇るも、これではまるで意味が違う。 「住み込みの仕事。するんだろ?」  彼が言っている意味がわたしには理解出来ず、しばらくフリーズしてしまった。 「……あ、あー! そういうこと? その仕事が始まるまでの間は大悟の家に住まわせてくれるってこと?」 「なに寝ぼけたこと言ってんの? 俺の家での住み込みの仕事だけど。前任のハウスキーパーが産休入ってちょうど人手が欲しかったんだ」  ようやく導き出した答えは、大悟の返答によって見事にクラッシュされてしまった。 「は?」 「とは言っても、俺あんま帰ってこないから、間借りって方が正しいかもな。とりあえず埃がたまらない程度に掃除しておいてくれれば他は自由に使ってくれていいよ」  ーー待って待って。当事者を置いていかないで。全く仰ってる意味がわからないんですが?  状況がひとつも把握出来ていないわたしを置いてけぼりで話を進めながら、身支度を整えていく大悟をただ呆然としながら見つめる。 「え? でも給料は?」  仕事とは働いた時間分の対価を得られるものだ。百歩譲ってここに住まわせて貰えるのはいいのだけど、給与を貰えないのなら仕事とは言えない。 「これ。好きに使っていいよ」   彼は慣れた手つきでネクタイを結び終えると、財布の中から一枚カードを手渡した。 「……こ…れは?」  さすがに手の中のものがなんなのか、世間知らずなわたしでも知っている。ただ、イマイチよく分からずに訊ねる。 「柚妃の名前書けば使えるから。好きに使って。あと叔母さんにもうまく話付けといたから。じゃ、仕事あるからもう行くわ」 「……ママに? って、え!? 待って!?」  矢継ぎ早に説明しながらも、気づけば身支度を終えていた大悟は、わたしの制止を無視して寝室から出て行ってしまった。  その後を追うように立ち上がると、自分が一糸まとわぬ姿のままだということに気づき、そばにあった白いシャツをさっと羽織ってからドアノブに手を掛けて大悟を追いかける。 「大悟待ってってば! どういうこと!?」  玄関先で革靴に足を通す大悟は振り返ることなく口を開く。 「だから、俺が柚妃を養ってやるって言ってんの」 「いや、そんなのおかし……うぎゅ!?」  やっと振り返った大悟はわたしの頬を片手で掴むとぐいっと自分に引き寄せた。  至近距離で大悟の顔を見た瞬間、昨夜のことを思い出してしまい、言葉が喉の奥に突っかえてしまった。 「時間ねぇんだよ。帰って来たらいくらでも話聞いてやるから四の五の言わずに、とりあえず留守番してろ」  ーーさっきあんま帰ってこないって言ってたじゃん!!!  それだけ言うと「これ鍵ね」とシューズボックスの上に鍵を置いて出て行ってしまった。   わたしは混乱と困惑するばかりで、呆然とその場に立ち尽くすしながら、ピッタリと閉じた玄関のドアを見つめるしかなかった。
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