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目覚めた。
いきなり目の前に少女の顔があったので仰天した。倒れたアシュタロテの上に、覆いかぶさるようにして顔を覗き込んでいたのだ。
「ごめんね、あなたアリアンロッドじゃなかった」座りなおしながら少女が言った。「でもよく似てる」
「あなたは何者ですか。弟を何故知っているのですか」
「私は太母神の中身。もともと太母神だったもの、と言ったほうが正確かな」
「戦いを続けますか」
「その気があったら、とっくに殺してると思わない?」
それはそうだ。アシュタロテは左肩を見る。その先に腕はない。だが、自分はもう瀕死ではない。
「私を生かしてくださったのですね」
「あなたを生かしたのは運命の車輪。私もその一部と言うに過ぎないわ」
「それでも、お礼を言わせてください」
「私もお礼言わなきゃならないから、おあいこってことでいいんじゃない?」
「どういうことでしょうか」
「私はあの肉体から解放されるときを待っていた。それができるのは男だとばかり思っていたのだけれど。正直驚いたわ」
「キンメリアの無尽の火と同じものが、ここにあるのです」そう言って彼女はは自分の胸を指した。
少女は悲し気な目をして、小さくうなずいた。
「重い運命を背負ったわね、アシュタロテ」
「重いのか軽いのか、よくわかりません。いずれにしろ私の運命です。もう受け容れました」
そう答えてから、はっ、とした。少女は今、自分の真名を言い当てたのだ。
「弟が、私の真名を漏らしたのですか」
「言ったでしょ。私は太母神の中身、すべての女の祖。母から娘へと、さらにその娘へと受け継がれ、すべての命の奥底にある魂の流れそのもの。あなたは私の一部だし、私はあなたの一部。そういうこと」
「……開放されるのを待っていたとおっしゃっていましたね。自由を得て、あなたは何をするつもりですか?」
「あなたはどうなの? アシュタロテ」
「それも、答えずとももうおわかりなのではないですか」
「そうね。あなたはもう、何をすればいいかわからないのね。あの肉塊が弾け散った時点で、エトルリアの都も終わりだということはわかっている。ならば、自分のなすべきことはもう済んでしまったのではないかと思っている」
「私がなすべきことが、まだあるとおっしゃるのですか?」
「ブランウェンに会いなさい。私は答えを知らない。でも、ブランウェンは知っている」
そう告げた女神のまわりに、きらきらとした白い光が集まりはじめていた。
「じゃあ、あとお願いね。私はもう、行かなきゃだから」
光が強まるにつれ、女神の身体は薄く、透明になっていく。
「待ってください。私、何をお願いされてるんですか!?」
「新しい朝が来る。古きものは去る。私も天上に帰るの」
「え、待って、『朝』って何ですか。『天上』って何ですか」
「いずれ分かるわ。あなたもそれを見る。それより、この都、崩壊するから……」
「待って、待って、何がなんだか……」
狼狽するアシュタロテを見て女神はくすりと笑い、消えかけた指を伸ばし、彼女の胸に触れた。
瞬きほどの時間、アシュタロテは女神と認識を共有した。
黄金ピラミッドの下、すり鉢状の濠の底。横たわる女の傍らに、タルドゥがいた。ピラミッドの回転はしだいに速度を落とし、止まりかけの独楽のようにぐらつきはじめていた。
……ま、そういうことで、任せたから。うまくやってね……
その思念が届いたとき、女神の姿はすでに見えないものとなっていた。天上に帰ると告げた女神は、一粒の塩さえあとに残さなかった。
そのことの意味を考えるよりも早く、龍の吠えるような轟音が足元から響いてきた。
崩壊が、始まったのである。
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